ファンクをコソコソ歌う、日本的ペシミズムの達人90 年代後半の J-POP が、ミスチル的な肯定とハマちゃん的な熱量に二極化していた頃、スガシカオは第三の声を持ち込んだ。それは、囁くように歌うファンク、というほぼ矛盾した発明だった。 本作冒頭「ぼくたちの日々」のカッティングギター、井上鑑のアレンジ、そしてスガの本人比でかなり力の抜けた歌唱。ファンクは本来、声を張って空間を支配する音楽だが、彼はその文法を反転させた。「8 月のセレナーデ」「ストーリー」と続く流れは、JB やプリンスの語彙を借用しながら、日本人の自意識のサイズに切り詰める作業だ。 歌詞は徹底して内向きで、自己嫌悪と性的執着が交互に登場する。「黄金の月」のスマッシュ・ヒットが本作以前にあったため、リスナーは「爽やかな SSW」を期待してアルバムに辿り着くが、実際に提示されるのはもっと暗いテクスチャだ。スガはその落差を計算に入れていた。 2026 年、シティポップ・リバイバルの文脈でスガシカオが語られる場面は少ない。それは彼の音楽が踊らせるためではなく、家で一人で聴くために書かれているからだ。本作はファンクをチル化した先駆として、再評価の余地が大きく残されたままだ。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·