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1993 年、ヨーロッパのテクノは Warp や R&S を中心に「真面目な未来音楽」へと自己定義していた。同時期、ピエール瀧と石野卓球は、その真面目さを意図的に脱臼させる方向を選んだ。本作はその方法論が初めて全面化したアルバムだ。
「N.O.」のミニマルなシンセシーケンスとふざけた日本語、「ノーフューチャー」の脱力したコーラス。これらは欧州的テクノの厳粛さを真正面から茶化す身振りだが、トラック自体の作りは決して舐めていない。石野卓球のシンセプログラミングは、当時の日本のテクノとしては国際水準にあった。ふざけと技術の両立が、本作の核にある。
歌詞は徹底してナンセンスで、しかしそのナンセンスは政治的でもある。バブル崩壊直後の「真面目に未来を語れない」空気を、彼らは未来音楽の側から皮肉に応答した。それは Yellow Magic Orchestra の啓蒙的姿勢からの、明確な離脱でもあった。
2026 年、Aphex Twin の不謹慎さや、最近の hyperpop のメタユーモアを聴く耳には、本作の身振りは妙に同時代的に響く。日本のテクノが「真面目さ」を経由せずに国際性を獲得した、稀有な事例。瀧の薬物逮捕後の評価の混乱を経た今こそ、作品単体としての再聴の意義がある。