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「勇者」を初めて聴いたのは、フリーレンのアニメ第 1 話の OP としてだった。原作は読んでいなかった。
OP が流れた瞬間に、私は何かを取り違えていることに気づいた。フリーレンというタイトルは「葬送の」フリーレンで、つまり主人公はもう何かを葬送した後にいる。彼女が冒険の途上で出会う仲間たちは、勇者ヒンメル一行で、ヒンメルはアニメ第 1 話のかなり早い段階で死ぬ。
つまり「勇者」というこの楽曲は、本編で死んでいる男を、主人公が思い出している、という、極めて変則的な視点で書かれている。OP が流れている時点で、視聴者はまだそれを知らない。
私はこの仕組みに、放送が進むにつれて気づいた。第 4 話か 5 話あたりだったと思う。OP の歌詞が突然、それまでとは違う意味で響き始めた。同じ曲を、知識が増えるたびに違う曲として聴いてしまう。
楽曲がもつ機能のうち、私はこの種類のものを最も尊敬している。聴き手の側の理解が進むたびに、曲そのものが書き直されていく。これは作家の側の能力ではなく、構造の選択の問題で、Ayase はそれを完全に意図して書いている。
「勇者」を聴き終わった後、フリーレン全 17 巻を一気に読んだ。曲が私の読書時間を 30 時間ぶん作った。それくらいの楽曲だ。
別の曲との繋がりまで考えてなかった。
別の曲との繋がりまで考えてなかった。
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