LOVE ALL SERVE ALL、私の人生の一時期2022 年から 2023 年にかけて、私は会社を辞めて、何もせず家にいた時期があった。コロナ後の世界に対して、適応することがしばらくできなかった。 その期間、私はずっと藤井風の LOVE ALL SERVE ALL を聴いていた。特に「燃えよ」と「damn」を、繰り返し繰り返し。 「燃えよ」のサビには、燃えること、それしかないという、極めて直接的な表現がある。仕事を辞めた人間にとって、そのフレーズは、新しい何かを始めるための背中の押し方だった。「damn」のシニカルさは、自分の置かれた状況を、笑い飛ばすための装置だった。 藤井風は、私の人生のその時期にいた。具体的にいたわけではないが、彼の声が、私の部屋にずっといた。アーティストの声がリスナーの生活に密着する瞬間が、稀にある。LOVE ALL SERVE ALL は、私にとってそういう瞬間を作ったアルバムだ。 **音楽のこういう作用は、再現性がない。書評では論じられない。それでも音楽の意義の中核にある**。アルバムの評価軸の中で、私はこの「個人的な作用」をいつも一番大事にしている。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
LEGION を、行きの電車と帰りの電車で聴いたLEGION を最初に聴いた時、私は会社員だった。朝の通勤電車で、行きの 30 分でアルバム前半、帰りの電車で残り。LEGION 全 14 曲、トータル 50 分強。 朝の電車で聴くと、Bling-Bang-Bang-Born の派手さで目が覚める。が、その後に続くアルバム曲群が、徐々に内省的なトーンに変わっていく。会社に着く頃には、妙に静かな心持ちになっている。 帰りの電車で残りの曲群を聴く。後半は意外にも、朝より落ち着いた曲が多い。R-指定のラップは、後半になるほど「叫び」よりも「呟き」に近づく。これは作家としての配置の上手さで、リスナーの 1 日のリズムを、アルバムが受け止めてくれる。 50 分のアルバムを、ストリーミング時代の標準的な聴き方(曲単位でランダム再生)ではなく、最初から最後まで通しで聴いた。それで初めて見える設計が、LEGION にはある。 ヒップホップのアルバムを通しで聴く文化は、日本ではなかなか定着しない。LEGION は、その文化を一回作り直す力を持っているアルバムだ。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
LOST CORNER を、夜遅くに 1 周ずつ聴いた米津玄師のアルバムを通しで聴くという行為は、私にとって儀式に近い。ストリーミング時代に、わざわざアルバム順で 1 時間以上かけて聴く曲群は、ほとんどない。米津玄師のアルバムだけは別格で、彼自身が曲順にかなり意図を込めているのが分かる。 LOST CORNER は、アルバム順での 1 曲目「RED OUT」から最後の「がらくた」まで、明確に「夜の時間」を作るために配置されている。ヒットシングルが点在しているが、シングルの順番ではない。曲調・テンポ・歌詞のテーマで、聴き手の感情の起伏が滑らかに流れるよう設計されている。 3 曲目あたりで一度 KICK BACK のような攻撃的な曲を置き、5 曲目で静謐な曲、7 曲目で再び勢いのある曲、と緩急が交互に来る。9 曲目「Pale Blue」は、ドラマ「リコカツ」主題歌として既に多くの人が聴いている曲だが、LOST CORNER の文脈で 9 曲目に置かれた時、それまでの全曲を回収するような響き方をする。 これは聴き手の側の聞き方に依存する効果で、単曲だけ聴いても気づかない。アルバムを 1 周してこそ作用する設計だ。 10 周くらい聴いた現時点でも、新しい発見がある。**LOST CORNER は、アルバムというフォーマットがなぜまだ滅びないかを、もう一度教えてくれる**作品だ。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
Subtitle を聴いた時の、ある冬Subtitle が発表されてからしばらくの間、私はこの曲を聴くことができなかった。 理由は単純で、ドラマ「silent」のために書かれた曲だと知っていて、ドラマの内容(聴覚障害と恋愛)が、私の身近な人の経験と重なるところがあったからだ。曲を聴くたびに、その人のことを思い出してしまう。それが嬉しい時もあれば、辛い時もある。曲のせいではなく、自分の心の状態のせいで、聴ける時と聴けない時がある。 そういう曲が私には何曲もある。Subtitle は、その筆頭の一つだ。 楽曲の力が大きすぎるから、こういうことが起きる。BGM として軽く流せる曲は、こうした感情の起伏を起こさない。Subtitle は、聴くたびに何かを思い出させる、聴き手の側の準備を要求する曲だ。 これは批判ではない。むしろ、楽曲の力としては最大級だ。**音楽が、聴き手の人生に重く介入してくる瞬間** が、稀にある。Subtitle は、私にとってそういう瞬間を作る一曲だ。 数年経った今、私はこの曲を以前より落ち着いて聴ける。曲は変わらないが、私が変わった。曲が私の人生の一部になった。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →6
NIGHT DANCER と海外の友人NIGHT DANCER が世界的にヒットした 2023 年、海外の友人から「これは日本の曲だね?」というメッセージを何度ももらった。 私自身、この曲をリアルタイムでは聴いていなかった。友人からの問い合わせをきっかけに、初めてフルで聴いた。その時の感覚は、自分の国の曲を、外国人の方が先に発見しているという、独特の遅れだった。 これは新しい体験だった。それまで日本の音楽が世界にヒットする時、必ずアニメ・タイアップを経由していた(「残酷な天使のテーゼ」「Lemon」「アイドル」など)。NIGHT DANCER はアニメ・タイアップなしに、純粋に SNS のアルゴリズムを通って世界に届いた。 これは音楽が世界に届く新しい経路を示している。アニメというパッケージなしに、楽曲そのものが、TikTok という場で評価される。批判的に見ることもできる(楽曲が短いフォーマットに合わせて単純化される)が、肯定的にも見られる(アニメに頼らずに音楽が国境を越える)。 NIGHT DANCER は、その経路の最初期の代表例として、長く参照されるはずだ。私の友人がこの曲を見つけた時の、彼の興奮した文面を、私はまだ覚えている。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
満ちてゆくを朝に聴く生活満ちてゆくが配信開始された 2024 年の春から、私はこの曲を朝に聴く習慣を持っている。 朝に聴くのに適した曲は、実は少ない。アッパーすぎると目覚めの脳に負荷がかかるし、内省的すぎると 1 日の最初の感情として重い。満ちてゆくは、その間の絶妙なポジションにいる。穏やかで、でも眠くならない。意味を取らせるのではなく、意味の周辺にいさせてくれる。 歌詞の中に「全て無くなって 満ちてゆく」というフレーズがある。これを朝に聴くと、日中の予定や心配事が、一旦リセットされる感覚がある。これは私の主観で、別の人にとっては別の働きかけをするだろう。 藤井風の楽曲は、聴くシチュエーションを選ぶ。「死ぬのがいいわ」は朝には聴けない。逆に「満ちてゆく」を夜遅くに聴くと、少し物足りない。曲ごとに聴き手の生活の中での位置が決まっている、というのは、楽曲が成熟した証拠だ。 **生活の中の特定の時間に居場所を持つ曲は、それだけで価値がある**。満ちてゆくは、私の朝のための曲として記憶されている。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
三文小説、コロナ禍に耐え抜いた人々のための曲三文小説が発表されたのは 2020 年の終盤、コロナ禍が本格的に長期化することが見え始めた時期だった。 楽曲のテンポは遅く、曲調は内省的で、井口理の声が普段以上に静かに響く。これがちょうど、当時の私たちの生活の温度と一致していた。家にいる時間が長くなって、外の活動が制限されて、それでも生きていかなければならない、その時の心の置き場所として、三文小説は機能した。 歌詞には「物語」「最終ページ」「シナリオ」など、「書かれた物語」を喚起するキーワードが繰り返し登場する。これは、自分の人生を一人称で生きるのではなく、書かれた物語の登場人物として相対化する視点だ。コロナ禍で予定が壊れ続けた当時の私たちに必要だった視点だった。 私はこの曲を、2020 年の冬から 2021 年の春にかけて、何度も繰り返し聴いた。それは音楽ファンとしての聴き方ではなく、生活の中で生き延びるための聴き方だった。 5 年以上経った今でも、この曲を聴き返すと、当時の部屋の寒さが蘇る。**音楽が私たちのその時の人生に伴走する瞬間が、稀にある。三文小説は、私にとってそういう一曲だ**。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →2
怪獣の花唄を聴き返した時のこと怪獣の花唄が出た 2020 年、私はリアルタイムでは聴いていなかった。 それから 2、3 年経ったある冬の夜、たまたま流れてきたこの曲を、聴きながら歩いていて、急に立ち止まった。なんでこの曲を、リリース時に聴き逃していたのだろう、という、どうしようもない後悔がした。 この種の感覚を持つ楽曲は、稀にある。リアルタイムで聴くべきだった、と思う曲。実際には、リアルタイムでも聴いていたかもしれない、ただ何も思わなかった、という可能性もある。それでも、後から聴いた時の方が刺さる、ということは起きる。 怪獣の花唄は、そういう「タイミングの一致が後からやってくる」タイプの楽曲だ。Vaundy という人は、こういう曲を何曲も書いている(「踊り子」「napori」「不可幸力」など)。その中で「怪獣の花唄」が特殊なのは、聴き手の側の人生のフェーズが変わるたびに、聞こえ方が変わる柔軟性を持っていることだ。 私は今、この曲を 5 年遅れで何度も聴いている。聴くたびに違う曲として聴こえる。これからも、たぶんずっと聴き続ける。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
勇者を聴くたびに、フリーレンを最初から読み返したくなる「勇者」を初めて聴いたのは、フリーレンのアニメ第 1 話の OP としてだった。原作は読んでいなかった。 OP が流れた瞬間に、私は何かを取り違えていることに気づいた。フリーレンというタイトルは「葬送の」フリーレンで、つまり主人公はもう何かを葬送した後にいる。彼女が冒険の途上で出会う仲間たちは、勇者ヒンメル一行で、ヒンメルはアニメ第 1 話のかなり早い段階で死ぬ。 つまり「勇者」というこの楽曲は、本編で死んでいる男を、主人公が思い出している、という、極めて変則的な視点で書かれている。OP が流れている時点で、視聴者はまだそれを知らない。 私はこの仕組みに、放送が進むにつれて気づいた。第 4 話か 5 話あたりだったと思う。OP の歌詞が突然、それまでとは違う意味で響き始めた。同じ曲を、知識が増えるたびに違う曲として聴いてしまう。 楽曲がもつ機能のうち、私はこの種類のものを最も尊敬している。聴き手の側の理解が進むたびに、曲そのものが書き直されていく。これは作家の側の能力ではなく、構造の選択の問題で、Ayase はそれを完全に意図して書いている。 「勇者」を聴き終わった後、フリーレン全 17 巻を一気に読んだ。曲が私の読書時間を 30 時間ぶん作った。それくらいの楽曲だ。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →2
「一秒」というタイトルへの反応SixTONES の「一秒」を初めて聴いた時、タイトルが先にあって、曲が後から書かれたのではないかと思った。 「一秒」というのは、文章で書く時にすごく扱いの難しい時間単位だ。あまりにも短すぎて、実生活の中で「一秒」を意識することはほぼない。それを、3 分半の楽曲のタイトルに据える。これは、その「一秒」を引き伸ばし、引き伸ばし、引き伸ばし続けるという宣言だ。 楽曲を聴いていくと、確かにこの曲は「一秒」を引き伸ばす設計になっている。歌い出しの「あの一秒」というフレーズから、サビ、間奏、最後の落ちサビまで、ずっと同じ「一秒」を別の角度から描き続ける。映画でいう、スローモーションの長回し。 SixTONES が、こういう抽象的な主題を選んできたこと自体が、グループとしての成熟を示している。「派手な曲」「踊れる曲」を続けてきたグループが、「時間の感覚を描く曲」を書く段階に来た。 派手な曲ほど短命になりやすい J-POP の業界で、こういう曲が増えていくのは健全だ。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
GOD_i を聴いて思い出した、2010 年代のあるラジオ放送2014 年か 2015 年だったと思う。深夜のラジオで、ある DJ が「これからの 10 年、ジャンルは溶ける」と話していた。当時は当たり前のことを言っているように聞こえて、特に印象に残らなかった。 ところが GOD_i を聴いていて、そのフレーズが急に思い出された。ジャンルが溶けるというのは、ロックがヒップホップに歩み寄るとか、ポップスがジャズを取り込むとか、そういう「足し算の混ざり方」のことではなかった。聴く人の側の、頭の中の引き出しが先に溶ける、ということだったのだ。 GOD_i を聴いている時、ロックの引き出しもポップスの引き出しもトラップの引き出しも開いていない。ただ「Number_i の曲」という一個の現象として、頭の中に置かれている。それは、私の世代の聴き方では起きなかったことだ。 良い悪いを言いたいのではない。これが、いま起きている耳の変化だ──という話を、誰かにしたくなった。だから書いている。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3