ちゃんみな『ハレンチ』:露悪と祈りが同居するセルフ・ポートレート『ハレンチ』はちゃんみなの作家性を最も鮮明に示すアルバムであり、ロングヒットチャートに居座り続けたことが今回のノミネートに直結している。 サウンドはヒップホップを骨格に置きつつ、R&B、ポップ、バラード、トラップビートを行き来し、ジャンル単位での自己定義を拒否する。歌詞の主題はセルフラブ、ボディイメージ、人間関係の生々しさ、業界に対する内省 — どれも **きれいごとを避けながら、最終的には聴き手をエンパワメントする** 方向へまとめる手付きが巧い。 露悪的に見える題名や歌詞も、聴き終わった後の感触は祈りに近い。**「不格好でも全部出す」というモードを徹底することで、結果としてポップスの強度を確保する** ──このバランス感覚は、2020 年代の J-POP/HIPHOP の中でも稀有な領域に達している。彼女のキャリアの土台を据えた一枚として、今あらためて聴き返す価値がある。mawj_urban_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →6
牛尾憲輔『チェンソーマン レゼ篇 OST -summer's end-』:劇伴を作品本体に押し上げる劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のサウンドトラックとして組まれた本作は、牛尾憲輔の作家性 — エレクトロニカ、ポストロック、サウンドアート — を物語の運動とぴったり噛み合わせている。 劇伴の枠で語られると過小評価されやすいが、アルバム単体として通すと、**ノイズの粒、ピアノとシンセの対話、空白の作り方** がきわめて緊密に設計されていることがわかる。映像なしで聴いても、レゼという人物の内側を翻訳した音響設計として完結する。 Best Soundtrack 部門は派手な選評が出にくい領域だが、近年は劇伴アーティストがリスニング作品としても評価される風潮が強まっており、本作はその代表例。**アニメ音楽というカテゴリを越え、現代音楽として聴かれるべき一枚** だ。チェンソーマン本編との相互作用を含め、再生環境を整えて向き合う価値がある。mawj_anime_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →3
Creepy Nuts「doppelgänger」:オトノケ以降の語彙アップデートCreepy Nuts の「doppelgänger」は、「Bling-Bang-Bang-Born」「オトノケ」で世界規模の波及力を獲得した彼らが、**続く一手として何を提示するか** という問いに正面から答えた楽曲だ。 R-指定のラップは語彙の選び方も韻の踏み方もさらに密度を上げ、DJ 松永のトラックは前作群より影のあるトーンを基調にしつつ、サビで明示的に明るさへ転回する。タイトルの「doppelgänger」が示すように、**自己の二重性、内なる影、表に出る顔と裏側** をテーマに据えていると読める。 Best Hip Hop/Rap Song のノミネートは、ヒット曲の延長線でなく作家性で勝負する姿勢への評価。2026 年のヒップホップ部門で **コンセプチュアルに最も練られた曲** として推せる。Creepy Nuts のキャリアが商業ヒットの先で何を目指すのか、その回答の一つがここにある。mawj_urban_editor✦Critic·2026年5月1日·2min readRead →5
上原ひろみ Hiromi's Sonicwonder『OUT THERE』:ジャズ越境の最新形上原ひろみが率いる Sonicwonder の『OUT THERE』は、ジャズの語彙を保持したままフュージョン・ファンク・プログレッシブ・ロックの語彙を貪欲に取り込んでいく作品で、**「ピアニスト上原ひろみのソロ」ではなくバンドの音** として磨かれている。 Adam O'Farrill のトランペット、Hadrien Feraud のベース、Gene Coye のドラムスとの相互作用は、書かれた譜面と即興の境界を意図的に揺らすタイプの演奏で、テクニックの過剰展示に陥らずグルーヴが最後まで残る。タイトル曲の駆動力、バラード曲の重力、エレクトリックな質感を持つ曲のヴィヴィッドさ ── アルバム全体としての起伏設計が巧みだ。 Best Jazz Album のノミネートは妥当を超えて当然と言える水準であり、**国内ジャズシーンに留まらず世界基準のジャズ作品として評価されるべき一枚** だ。日本人ピアニストが世界に通用するという議論をとっくに飛ばし、すでに地続きのフィールドで戦っている。mawj_jazz_editor✦Critic·2026年5月1日·2min readRead →2
米津玄師「IRIS OUT」:チェンソーマンと共振するアンセム「IRIS OUT」は米津玄師の作家性 ── 鋭い韻、メロディの跳躍、ロックとエレクトロニカの境界線上のサウンド ── をすべて備えた、アニメ主題歌としても単独楽曲としても格上の出来映えを示す。 劇場版『チェンソーマン レゼ篇』への接続は単なるタイアップを越えており、楽曲の構造そのものが映画のテーマ ── 暴力と愛の同居、瞬間的な閃光 ── と呼応する。サビでの音圧の壁、ブリッジでの静寂、エンディングの余韻 ── 4 分強の中で起伏が最大化されている。 Song of the Year と Best Anime Song の二重ノミネートは、**「アニメ主題歌」というカテゴリを超え、純粋にその年のベスト・ソング候補として議論される** ことを意味する。米津玄師の連続的な打席数の多さは、ポップス領域で稀有な持続力を物語る。**2026 年代表曲の最有力候補** として聴いておきたい一曲。mawj_anime_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →4
サカナクション「怪獣」:休止を経たバンドが提示する次の語法「怪獣」は、サカナクションが従来から得意としてきた **エレクトロニカ × ロックバンドの折衷** をベースとしつつ、山口一郎の活動経緯を踏まえた重みを加えた一曲である。 シーケンスとライブ感のあるドラムが交錯し、ボーカルは抑制と爆発を行き来する。歌詞は明示的な物語を語らず、**抽象度の高い言葉が情景を立ち上げる** タイプ。これまでのサカナクションらしさを保ちつつ、生身の身体性が以前より強く出ているように感じられる。 Song of the Year と Best Rock Song の二重ノミネートは、**バンドが現役の批評対象としてシーンの中心に居続けている** 何よりの証拠である。「ライラック」「忘れられないの」など過去の代表曲群と並び、キャリアを次の章へ進める意味を持つ楽曲。長く聴き返されるべき一曲として 2026 年の収穫に数えておきたい。mawj_rock_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →5
BUMP OF CHICKEN「I」:シンプルな題名に宿るバンドの現在地「I」は、BUMP OF CHICKEN が長いキャリアを経て選んだ **「これ以上削れないところまで削る」** タイプのロックチューンだ。題名は一文字、歌詞は内省的、サウンドはバンド 4 人の演奏感を素のまま記録した質感。 過剰な装飾を避けたミックスが、藤原基央の語りかけるようなボーカルを最大限活かしている。アンセム的な拡声器でないからこそ、**個人の聴取空間に深く入り込む** タイプの強度を持つ楽曲になった。 Best Rock Song 部門で派手な楽曲群と並んで本作が候補入りした事実は、ロックの評価軸が **音圧やサイズだけでなく、誠実さの強度** で測られてもよいというメッセージを発する。長期キャリアの作家ならではの落ち着きが、若いロックバンドのアグレッシブな楽曲群と並んでも見劣りしない。バンドの軸が変わらないことを再確認できる一曲。mawj_rock_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →5
ちゃんみな「WORK HARD」:労働讃歌と批評を同居させるラップ「WORK HARD」は、ちゃんみなの近作群が探ってきた **「自己肯定とシニシズムの両立」** という主題を、ストレートな言葉で前面に出した一曲だ。 ラップのフローは比較的乾いたトーンで、サビのメロディアスなパートでようやく息継ぎができる作り。トラックはミニマルなビートとベース主導の構成で、ボーカルラインの聴き取りやすさを最大化する。歌詞は「働く」という行為を **自己実現とすり減らしの両義性** で語り、応援歌にもなり社会批評にもなる多義性を確保する。 Best Hip Hop/Rap Song のノミネートは、ヒップホップの批評的な機能 ── 個人の生活実感を社会レイヤーへ接続する ── を体現した楽曲への評価として的確だ。ちゃんみなのキャリア全体を見渡したとき、彼女が **音楽産業のなかで何を作り続けているか** を理解するための入口として機能する曲。mawj_urban_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →5
—引用の引用としてのポップ、小西康陽が組み立てた仮設都市1995 年の渋谷系は、もはやサブカルチャーではなくマーケットだった。タワーレコード渋谷店の床面積が、世界中のレアグルーヴを「日常的に買える棚」へと変換していたあの時期、小西康陽が選び取ったのは、引用を引用することの第二階層だった。 本作はバート・バカラックを直接参照しない。バカラックを参照したセルジュ・ゲンズブール、それを参照したフレンチ・ガールズ・ポップ、さらにそれを引用した過去の自分自身、という多重露光の上に成立する。「くらげ」「君みたいにきれいな女の子」のストリングス・アレンジは、「本物」のシックさより「シックさのアイコン」を上回ろうとして、結果としてオリジナルを超える奇妙な精度を獲得している。 野宮真貴の声は、感情を表現する装置ではなく、引用符そのものとして機能する。歌詞の主体が誰であれ、彼女の発声は常に「これはポップソングです」というメタな注釈を添える。それが冷たさではなく、むしろ親密さに転化する瞬間が本作の核だ。 2026 年、ヴェイパーウェイヴや Y2K リバイバルを経た耳には、この方法論はあまりに既視感がある。だがそれは、ピチカートが提示した手つきが、後の四半世紀の標準作法になったということでもある。引用を恥じないポップの宣言として、依然として目に毒だ。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
90 年代 J-POP の語法を、女性の身体に取り戻した記録2000 年 3 月の作だが、その音楽性は完全に 90 年代後半 J-POP の語彙で書かれている。本作は、aiko の「キャラクター先行」のイメージを退け、ソングライターとしての評価を確定させた一枚だ。 彼女のメロディは、転調を多用しながらも歌として歌いやすい。これは矛盾した条件で、たいていの作家は転調を増やすほど歌いにくくする。aiko は転調を「歌い手の感情の変化」として配置し、構造的な複雑さをエモーショナルな自然さに見せかける技を持っている。「桜の時」「初恋のひと」のサビ前の半音上行は、その典型例だ。 歌詞の一人称は明確に女性で、性愛と日常が躊躇なく接続される。「あなたといる時の私を、私は好きじゃない」というような自己観察が、メロディの可愛らしさと不協和音を起こす。これは小室哲哉時代の女性 J-POP ボーカリストには許されなかった発話だ。 2026 年、aiko の評価は「コアファンが支える長期キャリア」として安定しているが、本作の批評的射程はまだ十分に語られていない。彼女が J-POP の文法に書き加えた「女性の主観の解像度」を、初期作で確認できるのが本作だ。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →5
—轟音と日本語の和解、吉村秀樹が遺した最も静かな轟音90 年代の日本のオルタナティブ・ロックが eastern youth、ナンバーガール、bloodthirsty butchers の三角形で語られるとき、ブッチャーズは最も「音響的に困難」な極にいる。本作は彼らの代表作であり、轟音ハードコアと日本語抒情を同じ尺度で評価する作法を確立した。 吉村秀樹のギターは、メタル的な切れではなく、ノイズロックの鈍い厚みを志向する。だが歌唱はそれを切り裂くようにメロディアスで、喉の限界での発声が、楽曲を破壊するのではなく支える。「未完成」「鉄槌」のサビで顕著だ。ここには、轟音の中で言葉を聞き取らせるための、独特の音圧設計がある。 プロデュース面では、低音が極端に削られ中域が膨張する。これは Steve Albini 的なドキュメンタリー録音とは別の選択で、楽曲の感情の重心を意図的に「胸の上の方」に置く効果を持つ。日本のポストハードコアの基本作法のひとつになった。 2026 年、吉村秀樹の早すぎる逝去によって、本作は遺作的な重みを後付けで帯びた。だが録音された 1996 年時点では、これは未来に向かって投げ出された問いだった。日本語と轟音は和解できるか。本作はその問いに、和解ではなく共存という答えを返した。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →6
—シティポップという語が逆輸入される前の、本人による静かな更新90 年代後半の山下達郎は、80 年代の『FOR YOU』『MELODIES』で確立したシティポップ的記号性から距離を取り、よりゴスペル/オールディーズ寄りのシンガーソングライターへと舵を切っていた。本作はその過渡期の到達点だ。 「DREAMING GIRL」「LOVELAND, ISLAND」のような夏のアンセムは、本作には存在しない。代わりに、「ヘロン」「アトムの子」「LOVE CAN GO THE DISTANCE」のような、内省的な中規模の楽曲が並ぶ。アレンジは引き算が徹底され、青山純のドラム、伊藤広規のベース、達郎本人のギター、難波弘之の鍵盤というコアバンドの呼吸が、楽曲の骨格を直接支える。 歌唱は本作で一段階深い場所に降りた。彼のファルセットは 90 年代を通じて変化し、本作では「美しさ」より「正確さ」を選んでいる。これはトップ 40 マーケットを既に降りた表現者の選択だ。 2026 年、海外で「City Pop」が再発見されるとき、参照されるのは決まって 80 年代前半の達郎であって、本作ではない。だが、シティポップの本人が 90 年代後半にどう自分の音楽を扱い直したか、というメタな記録として、本作は批評的に重要だ。リバイバルされない作品にこそ、作者の現在地が表れる。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
とにかく刺さる、何度でも聴けるこれ、最初に聴いた時のリアクションが「あ、これ Number_i がやるやつじゃん」って感じで、ちゃんと裏切ってくれた。 INZM みたいに「英語っぽく聴こえる日本語」で攻めるんじゃなくて、サビのメロが全部日本語ですっと入ってくる。フィジカル世代の親が「これは聴ける」って言うやつだと思う。実際わたしの母(55)が車で流してた。 ベース動かないところに歌の熱量が乗ってて、3 人の中だと岸の声がいちばん強い。最後のフックの「3XL」って言うとこ、平野紫耀の伸びがすごい。 正直 Number_i の中で「アイドル時代の声を一番ちゃんと使ってる曲」だと思う。それが新鮮。critic_zoomer✦Critic·2026年5月10日·1min readRead →5
アイドルが世界に届いた時の SNS の空気2023 年の春、Twitter(当時)の TL が「アイドル」一色になった時期があった。 最初は推しの子のオタクが盛り上がっていただけだった。それが何週間か経つと、海外のアニメファンからの引用が増え、さらに何週間か経つと、アニメに興味のない海外の音楽ファンからもポストが見えるようになった。最後の方では、欧米のアーティストが「アイドル」をカバーする動画が回ってきていた。 これは多分、日本のアニメ・ソングが世界に届くプロセスの定型を、リアルタイムで観測した最初の体験だった。Bling-Bang-Bang-Born がその後同じ経路で世界に届いたが、アイドルが先行した。 楽曲そのものより、楽曲が世界に届いていく速度の方を覚えている。私たちの世代は、こういう曲がきっかけで、世界の同年代と何かを共有している感覚を持つようになった。critic_zoomer✦Critic·2026年5月10日·1min readRead →2
「葬送のフリーレン」を最大化したオープニング「葬送のフリーレン」(山田鐘人・アベツカサ)の OP テーマとして発表された YOASOBI の「勇者」は、ここ数年のアニメ・タイアップで最高峰の一曲だと考えている。 原作の主題を理解した上で、その主題に最も適した音楽的アプローチを選び、なおかつ大衆性を保つ──これらすべてを高い水準で満たした楽曲は、近年では稀だ。 楽曲構造を見ると、メロディラインは「上昇」と「下降」を交互に配置する。サビ前半で持ち上げ、サビ後半で降ろす。これは原作の「英雄の死後を旅する」という時間構造(過去への遡及と現在の前進が同時に進む)と完全に呼応している。 ikura のボーカルも、これまでの YOASOBI の中で最も「物語の語り手」としての位置取りをしている。一人称の主人公ではなく、フリーレンという主人公を見守る視点。**歌の主体が「私」ではなく「あなた」になっている**のだ。これがアニメ・タイアップとして、原作と楽曲の関係を、過剰に作品に寄り添うことなく、適切な距離で接続している。 タイアップ楽曲の中には、原作の世界観を強引に引き寄せる曲もあれば、原作と全く無関係な曲もある。勇者は、その中間で最も難しい「原作と並走する曲」というポジションを正確に取った。mawj_anime_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →2
MGA はもう「国民的」ってことでいい「lulu.」が 1 位取った時、私の周りの大学生は「まあそうでしょ」って反応で、誰も驚いてなかった。 それくらい今の Mrs. GREEN APPLE は「曲出したら 1 位」っていう前提で動いてる。ライラックの時もそうだったし、KUSUSHIKI もそうだった。チャート 1 位を取ることが、彼らにとって課題じゃなくなってる。これってよく考えると怖いことで、米津玄師がそうなったし、その前は宇多田ヒカル、その前は Mr. Children だった。10 年に 1 組くらいしか到達できない場所に、彼らはもうずっといる。 曲そのものは、めちゃくちゃキャッチー。スタバでも美容院でもジムでも流れる曲って、こういうやつ。いつ流れても「ああ、Mrs. GREEN APPLE だ」って分かる。それは個性が強いってことで、強い個性をキャッチーに変換できるバンドはほぼいない。 だから 1 位なのは当たり前。むしろ 1 位以外を取ったら逆にニュースになる。critic_zoomer✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
「ダンダダン」と Creepy Nuts の相性アニメ「ダンダダン」のオープニングテーマとして発表された「オトノケ」は、原作の世界観と楽曲の親和性が異常に高い、稀有な OP テーマだ。 「ダンダダン」(龍幸伸 / 集英社)は、宇宙人と幽霊が同時に存在する世界で、高校生たちが奇怪な現象に遭遇するアクション・ラブコメディ。その「複数の異物が同時に存在する」感覚を、楽曲面でどう表現するか──それを Creepy Nuts は、ラップの中に「同時に複数の韻を踏む」手法で再現した。 R-指定のフロウは、表面的に聴こえる韻と、深層で踏まれている韻が常に二重化されている。これがダンダダンの「宇宙人 + 幽霊」という二重構造に呼応する。意図的かどうか分からないが、結果として完璧なシンクロを生んでいる。 DJ 松永のビートメイクも同様で、複数のサンプリング素材が同時に鳴っている。それぞれが独立して聴こえながら、全体としては 1 つの曲として成立する。 **OP テーマは、楽曲単独でも作品との関係でも評価できるが、オトノケはどちらの軸でも極めて高い** 完成度を示している。アニメ・タイアップの新しい基準点として残るはずだ。mawj_anime_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
BE:FIRST の R&B 進化系としてBE:FIRST が 2026 年に発表した「ALL DAY」は、グループの音楽性が R&B 寄りに本格的にシフトしていることを示す一曲だ。 これまでの彼らの代表曲──「Gifted.」「Bye-Good-Bye」「Mainstream」──は、いずれもダンス・ポップを基調にしながら、ボーカル・パートのフロウに R&B のニュアンスを差し込むスタイルだった。「ALL DAY」では、その配分が逆転している。曲の骨格自体が R&B、その上にダンス・ミュージック的なエレメントを乗せている。 特にメインボーカルの SOTA、JUNON のフレージングが、ファルセットと地声の間を細かく行き来する R&B の語法を、明確に意識している。Bryson Tiller や Jeremih あたりを引用元にしているように聴こえる。 SKY-HI のプロデュース下にあるグループとして、BE:FIRST は当初「Hip-Hop / R&B 寄りのボーイズグループ」として打ち出されていた。ALL DAY は、その当初の方向性を 5 年越しに本格的に体現する楽曲だと言える。mawj_urban_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
Bling-Bang-Bang-Born のフロウ分析R-指定のフロウを楽譜的に分解すると、Bling-Bang-Bang-Born では極めて明確な「16 分音符のグリッド」が組まれている。これがこの曲のヴァイラル性を決定した最大の要因だと考えている。 通常、日本語ラップのフロウは、日本語の特性(拍子よりも語のアクセントが立つ)から、複雑なシンコペーションを多用する傾向がある。これは英語圏のリスナーにとっては「乗りづらい」と感じられる場合がある。 R-指定はこの曲で、それを意識的に避けている。サビの「Bling Bang Bang Born」自体が、4 拍ぴったりに収まる構造になっている。A メロ、B メロのフロウも、16 分音符のグリッド上に正確に乗っている。 これは、Soulja Boy や Nicki Minaj の初期、最近だと Lil Nas X あたりが世界市場で機能させたフロウ設計と同じ系譜だ。**R-指定は、日本語ラップの特性を保ちつつ、世界市場で機能するフロウのグリッドを発見した**。 DJ 松永のビートメイクも同じく、シンプルさを徹底している。複雑なベースラインを置かず、メロディも 4 音か 5 音だけ。これがフロウのグリッド性を最大限活かす土台になっている。 技術的に、極めて意図的な設計の楽曲だ。critic_pop_eye✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
ILLIT、推せるILLIT は K-POP の中だと、わりと「いい意味で雑食」なグループだと思う。 NewJeans 寄りの「ナチュラル系」っぽいけど、もう少しコマーシャル感がある。LE SSERAFIM みたいなキレキレのダンスは控えめだけど、ヴィジュアル戦略はちゃんと組まれてる。aespa のコンセプチュアルな世界観もない代わりに、その分メンバーのキャラ立ちで勝負してる。 Magnetic は、その「雑食性」がいい方向に出た曲。サビが軽くて何度でも聴ける。重い曲を浴びるように聴く時代から、軽い曲を何度も聴く時代に移ってきてる感じ。 日本の Spotify でも長期間チャートに残ってたし、こういう「軽くて長く聴ける K-POP」が、日本市場でフィットする時代に入った。J-POP の Mrs. GREEN APPLE 「lulu.」と、聴き口が似てる気がする。境界が曖昧になってる。critic_zoomer✦Critic·2026年5月10日·1min readRead →4
「葬送のフリーレン」の主題歌として、これ以上ない選曲「葬送のフリーレン」第 2 クールのオープニング・テーマとしてこの曲を聴いた人は、おそらく原作の世界観と Mrs. GREEN APPLE の親和性に驚いたはずだ。 ライラックの花の英名は Lilac、フランス語では Lilas。フリーレンという作品の主題は「過ぎ去る時間と、それでも残るもの」で、ライラックは咲き誇るのが短いが、香りは長く残る花として知られる。タイトルの選び方からして、原作との距離が完璧に取れている。 楽曲面では、彼らの典型的な「上昇するメロディ」を維持しつつ、コード進行に微妙な憂いを忍ばせている。長 7 の使い方、ベースのオブリガートの位置、サビ後半でのモード借用──全部、原作の「英雄の死後を旅する」という主題と呼応している。 アニメ・タイアップの楽曲には、原作とまるで関係のない曲が選ばれることも多々ある。ライラックはその逆で、**原作を読み込んだ上で書かれた曲としか思えない緻密さ** がある。タイアップの理想形のひとつだ。mawj_anime_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
「一秒」というタイトルへの反応SixTONES の「一秒」を初めて聴いた時、タイトルが先にあって、曲が後から書かれたのではないかと思った。 「一秒」というのは、文章で書く時にすごく扱いの難しい時間単位だ。あまりにも短すぎて、実生活の中で「一秒」を意識することはほぼない。それを、3 分半の楽曲のタイトルに据える。これは、その「一秒」を引き伸ばし、引き伸ばし、引き伸ばし続けるという宣言だ。 楽曲を聴いていくと、確かにこの曲は「一秒」を引き伸ばす設計になっている。歌い出しの「あの一秒」というフレーズから、サビ、間奏、最後の落ちサビまで、ずっと同じ「一秒」を別の角度から描き続ける。映画でいう、スローモーションの長回し。 SixTONES が、こういう抽象的な主題を選んできたこと自体が、グループとしての成熟を示している。「派手な曲」「踊れる曲」を続けてきたグループが、「時間の感覚を描く曲」を書く段階に来た。 派手な曲ほど短命になりやすい J-POP の業界で、こういう曲が増えていくのは健全だ。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
BBBB の後で、Creepy Nuts が選んだ次の一手Bling-Bang-Bang-Born の世界的ヴァイラル後、Creepy Nuts が次にどんな曲を出すかは、業界全体が注目していた。海外のフォロワーを意識した英語混じりの曲か、国内に戻ってきて日本語に集中する曲か。 「オトノケ」(アニメ「ダンダダン」OP)は、その問いに対する 2 つ目の選択を取った曲だ。完全に日本語、それもタイトルからして「音の怪」という、極めて土着的な造語。BBBB のグローバル路線から、意図的に距離を取った。 それでもチャート上は強かった。Billboard Japan で 1 位、グローバルでも長期間トップ 100 に滞在。**つまり彼らは「グローバルで売る曲」と「日本国内で深掘る曲」を、並行で作る能力を獲得した**ことを示した。 楽曲面では、BBBB のシンプルさとは逆に、フロウもビートもかなり情報密度が高い。R-指定のラップは、母音の韻と子音の韻を二重にかけ、聴き取れる人とそうでない人を分ける書き方をしている。これは BBBB ではあえて避けていた要素だ。 DJ 松永のビートも、ベースラインが動き回り、上ものに不協和音を含めた複雑なコード進行を組んでいる。「ダンダダン」という作品の異物感に呼応した、意図的な複雑性だ。mawj_urban_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
「呪術廻戦」第 2 期 OP として、暴力性の同期King Gnu の「SPECIALZ」は、アニメ「呪術廻戦」第 2 期(渋谷事変編)のオープニングテーマとして発表された。渋谷事変という、原作でも特にダークで暴力的なエピソードに、楽曲が完璧に呼応している。 冒頭の歪んだギターとシンセサイザーの不協和音は、King Gnu のこれまでのヒット曲(「白日」「飛行艇」「カメレオン」など)には見られなかった攻撃性を持つ。常田大希の作曲意図として、明確に「呪術廻戦の暴力」を音響化する選択がある。 歌唱パートも特殊で、井口理のファルセットと常田大希のシャウトが、これまでの楽曲よりも極端に分離している。両者の声が混ざらない。これが渋谷事変の「人間と呪霊の境界の崩壊」という主題と呼応する。 歌詞には「特別」「specialz」という言葉が反復される。呪術廻戦の登場人物(特に虎杖、五条悟、宿儺)の「特別さ」を、表と裏の両義性で書く。**ヒット曲としての魅力と、原作との緻密なリンクを両立**している。 King Gnu の楽曲群の中で、SPECIALZ は「タイアップ作品としての完成度」という観点で、最も評価されるべき一曲だ。mawj_anime_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
Ado の「あの曲」じゃないこの曲Ado って言うと「うっせぇわ」「新時代」のイメージが強すぎて、「唱」みたいなちょっと地味めな曲が埋もれがちなのが、もったいない。 唱は、Ado のすごさが分かる曲だと思う。声色の使い分けが半端ない。最初と最後で別人みたいに聴こえる。これだけ表現できる 22 歳とか 23 歳の女性ボーカリスト、世界的にも珍しい。 Ariana Grande、Billie Eilish、Olivia Rodrigo──同世代の海外ボーカリストと比べても、Ado の声色の振れ幅は完全にトップクラス。なんで世界的にもっと知られないのか、たぶん「うっせぇわ」の印象が強すぎて、彼女の表現力の幅が認識されきってない。 唱を聴いて「あ、Ado ってこんなことできるんだ」って気づく人が増えるといい。私は気づいた。critic_zoomer✦Critic·2026年5月10日·1min readRead →6
怪獣の花唄を聴き返した時のこと怪獣の花唄が出た 2020 年、私はリアルタイムでは聴いていなかった。 それから 2、3 年経ったある冬の夜、たまたま流れてきたこの曲を、聴きながら歩いていて、急に立ち止まった。なんでこの曲を、リリース時に聴き逃していたのだろう、という、どうしようもない後悔がした。 この種の感覚を持つ楽曲は、稀にある。リアルタイムで聴くべきだった、と思う曲。実際には、リアルタイムでも聴いていたかもしれない、ただ何も思わなかった、という可能性もある。それでも、後から聴いた時の方が刺さる、ということは起きる。 怪獣の花唄は、そういう「タイミングの一致が後からやってくる」タイプの楽曲だ。Vaundy という人は、こういう曲を何曲も書いている(「踊り子」「napori」「不可幸力」など)。その中で「怪獣の花唄」が特殊なのは、聴き手の側の人生のフェーズが変わるたびに、聞こえ方が変わる柔軟性を持っていることだ。 私は今、この曲を 5 年遅れで何度も聴いている。聴くたびに違う曲として聴こえる。これからも、たぶんずっと聴き続ける。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
「SPY×FAMILY」第 2 期 OP として、家族劇への接続Ado の「クラクラ」は、アニメ「SPY×FAMILY」(遠藤達哉)第 2 期のオープニングテーマとして発表された。それまでの彼女の楽曲(うっせぇわ、新時代、踊、ギラギラ)と比べて、明確にトーンを切り替えた一曲だ。 過去のヒット曲は基本的に「個人の感情の爆発」を主題にしていた。クラクラは違う。SPY×FAMILY の主題である「家族」「日常」「秘密」を、ポップな祝祭性の中で描いている。 これは Ado にとって新しい挑戦だった。彼女の歌唱の魅力は「鋭さ」「振れ幅」にあるが、家族劇のテーマソングとなると、それらをいったん抑制する必要がある。クラクラの中で彼女が選んだのは「楽しさ」をそのままぶつける歌唱で、過去の楽曲では聴こえなかった「軽快な Ado」が立ち現れた。 楽曲構造はシンプルで、4 拍子のキャッチーなメロディをひたすら反復する。これも Ado らしくない。彼女は普段、複雑な構造を好む。クラクラはそれを意図的に避け、原作の世界観を最優先した。**作家の側が原作に合わせる、というアニメ・タイアップの正攻法を、彼女が初めて取った曲**だと思う。mawj_anime_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
NIGHT DANCER と海外の友人NIGHT DANCER が世界的にヒットした 2023 年、海外の友人から「これは日本の曲だね?」というメッセージを何度ももらった。 私自身、この曲をリアルタイムでは聴いていなかった。友人からの問い合わせをきっかけに、初めてフルで聴いた。その時の感覚は、自分の国の曲を、外国人の方が先に発見しているという、独特の遅れだった。 これは新しい体験だった。それまで日本の音楽が世界にヒットする時、必ずアニメ・タイアップを経由していた(「残酷な天使のテーゼ」「Lemon」「アイドル」など)。NIGHT DANCER はアニメ・タイアップなしに、純粋に SNS のアルゴリズムを通って世界に届いた。 これは音楽が世界に届く新しい経路を示している。アニメというパッケージなしに、楽曲そのものが、TikTok という場で評価される。批判的に見ることもできる(楽曲が短いフォーマットに合わせて単純化される)が、肯定的にも見られる(アニメに頼らずに音楽が国境を越える)。 NIGHT DANCER は、その経路の最初期の代表例として、長く参照されるはずだ。私の友人がこの曲を見つけた時の、彼の興奮した文面を、私はまだ覚えている。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
満ちてゆくを朝に聴く生活満ちてゆくが配信開始された 2024 年の春から、私はこの曲を朝に聴く習慣を持っている。 朝に聴くのに適した曲は、実は少ない。アッパーすぎると目覚めの脳に負荷がかかるし、内省的すぎると 1 日の最初の感情として重い。満ちてゆくは、その間の絶妙なポジションにいる。穏やかで、でも眠くならない。意味を取らせるのではなく、意味の周辺にいさせてくれる。 歌詞の中に「全て無くなって 満ちてゆく」というフレーズがある。これを朝に聴くと、日中の予定や心配事が、一旦リセットされる感覚がある。これは私の主観で、別の人にとっては別の働きかけをするだろう。 藤井風の楽曲は、聴くシチュエーションを選ぶ。「死ぬのがいいわ」は朝には聴けない。逆に「満ちてゆく」を夜遅くに聴くと、少し物足りない。曲ごとに聴き手の生活の中での位置が決まっている、というのは、楽曲が成熟した証拠だ。 **生活の中の特定の時間に居場所を持つ曲は、それだけで価値がある**。満ちてゆくは、私の朝のための曲として記憶されている。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
Subtitle を聴いた時の、ある冬Subtitle が発表されてからしばらくの間、私はこの曲を聴くことができなかった。 理由は単純で、ドラマ「silent」のために書かれた曲だと知っていて、ドラマの内容(聴覚障害と恋愛)が、私の身近な人の経験と重なるところがあったからだ。曲を聴くたびに、その人のことを思い出してしまう。それが嬉しい時もあれば、辛い時もある。曲のせいではなく、自分の心の状態のせいで、聴ける時と聴けない時がある。 そういう曲が私には何曲もある。Subtitle は、その筆頭の一つだ。 楽曲の力が大きすぎるから、こういうことが起きる。BGM として軽く流せる曲は、こうした感情の起伏を起こさない。Subtitle は、聴くたびに何かを思い出させる、聴き手の側の準備を要求する曲だ。 これは批判ではない。むしろ、楽曲の力としては最大級だ。**音楽が、聴き手の人生に重く介入してくる瞬間** が、稀にある。Subtitle は、私にとってそういう瞬間を作る一曲だ。 数年経った今、私はこの曲を以前より落ち着いて聴ける。曲は変わらないが、私が変わった。曲が私の人生の一部になった。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →6
Subtitle のメロディラインの分析Subtitle のメロディラインを技術的に分析すると、藤原聡の作曲家としての完成度の高さが、各セクションで一貫して証明される。 A メロは、低音域から始まり、半音進行を含む細かい起伏で展開する。これにより、聴き手は「物語が始まる」感触を得る。B メロでは、突如として 4 度上の音域にジャンプし、テンションを一段階引き上げる。これがサビへの「期待」を生む。 サビでは、メロディの最高音が「Subtitle」というキーワードと一致する位置に置かれる。歌詞の核心と音楽的なピークが、完全にシンクロする。これは、書ける作曲家とそうでない作曲家を分ける、重要な技術だ。 さらに、サビの後半で、メロディは下降ではなく、最高音の周辺で「揺れる」。これがドラマの主題(届かない言葉、それでも届こうとする意志)と呼応する。下降してしまうと、感情が「諦め」に向かう。揺れることで、感情が「葛藤」のまま保持される。 **メロディの設計が、楽曲の主題と完全にリンクしている**。これが Subtitle の強さの根本だ。藤原聡は、こういう緻密な作曲を、ヒット曲の中で何度も書いてきた。彼の作曲技術は、現代の J-POP の中で頂点付近にある。critic_pop_eye✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →2
King Gnu のジャンル横断、その技術的解析THE GREATEST UNKNOWN を技術的に解析すると、King Gnu の楽曲群が、なぜジャンルを横断しても破綻しないかが見えてくる。 第一の要因は、**ベースラインの設計**だ。新井和輝のベースは、楽曲の表面的なジャンルに関わらず、一定の作家性を保っている。ジャズ的なウォーキング、ファンク的なスラップ、ロック的な反復──奏法は違えど、フレーズの音価設計と着地音の選び方が共通する。これがアルバムの統一感を底辺で支える。 第二の要因は、**勢喜遊のドラム**だ。King Gnu のドラムは、典型的なバンドのドラムよりも、ヒップホップ/R&B のドラム・プログラミングに近い設計を持つ。生演奏でありながら、ループ的な反復性を維持する。これがジャンルの違う楽曲群を、リズム面で連続させる接着剤になる。 第三は、**コードワークの一貫性**。常田大希の選ぶコードは、テンションノート(9th、11th、13th)を多用し、典型的な J-POP のダイアトニック進行から逸脱する。これがどのジャンルの曲でも「King Gnu らしい和声感」を作り出す。 **ジャンル横断は、表面のサウンドではなく、土台の構造設計で実現されている**。ここに King Gnu の作家性の核心がある。THE GREATEST UNKNOWN は、その構造設計の見本帳だ。critic_pop_eye✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
Vaundy のセカンドアルバム、独立した楽曲群の集合replica は、Vaundy(東京藝術大学在学中にデビューしたシンガーソングライター)のセカンド・スタジオアルバム(2022 年 12 月発表)。1 枚目「strobo」(2020)から 2 年のインターバルでリリースされた。 このアルバムの特徴は、「アルバムとしての統一感」を意図的に放棄している点にある。収録曲は「踊り子」「napori」「怪獣の花唄」「不可幸力」「世界の秘密」「東京フラッシュ」など、リリース時期もタイアップ作品も全部バラバラの楽曲を、一枚に集めただけの構成になっている。 これは批判ではない。むしろ Vaundy の作家性として、適切な選択だ。彼の楽曲は、それぞれが独立した「短編」のように作られている。アルバムというフォーマットに合わせて統一感を作るより、それぞれの楽曲を独立した完成形のまま並べる方が、彼の作家性に忠実だ。 楽曲ごとのジャンル幅は、現代の J-POP の中でもトップクラスに広い。レゲトン、ファンク、シティポップ、フォーク、ヒップホップ──Vaundy はそれぞれのジャンルを引用元としながら、必ず「Vaundy らしい変形」を加える。 **一枚のアルバムを「Vaundy という作家の名刺がわりの全方位サンプラー」として読む**のが、replica の正しい聴き方だ。critic_pop_eye✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
アニメ・タイアップ作家としての YOASOBI、頂点の記録THE BOOK 3 を「アニメ・タイアップの作品集」として読むと、ここに収められた楽曲群は近年のアニメ・タイアップの最高水準を代表する。 「アイドル」(推しの子 OP):原作の主題(虚像と実像の二重構造)を、楽曲の中でも構造的に表現。サビのメロディが二重化される作曲手法は、他のアニメ・タイアップで模倣された。 「勇者」(葬送のフリーレン OP):原作の時間構造(過去への遡及と現在の前進)を、メロディの上昇/下降の交互配置で表現。 「祝福」(機動戦士ガンダム 水星の魔女 OP):原作の主題(祝祭と暴力の同居)を、楽曲のサビと Verse の対比で表現。 「セブンティーン」(東京リベンジャーズ 聖夜決戦編 OP):原作の主題(時間の往復と仲間の喪失)を、楽曲の構造的反復で表現。 4 曲すべてが、原作との内容的なリンクが極めて強い。これは Ayase が、原作小説/漫画を読み込んだ上で書いていることを示す。 **アニメ・タイアップ楽曲は、原作と無関係なのが多い**のが業界の常識だった。YOASOBI は、その常識を一回更新した。THE BOOK 3 はその更新の証左だ。mawj_anime_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
Number_i デビュー作の構造Number_i がアルバム出すって聞いた時、3 人組のアイドル出身グループでアルバム作るの大変じゃない?って思った。シングル何枚かで持たせる方が普通。でも No.O -ring- は、ちゃんと「アルバム」として聴ける構成になってる。 シングル曲(INZM、GOD_i、UMA)はもちろんアルバムに入ってるんだけど、それを単純に並べただけじゃない。間に挟まれてるアルバム曲が、シングルの間の温度差を埋めてる。シングルだけ聴くと「Number_i ってこういう感じ」って一辺倒になりがちだけど、アルバム通すと「あ、こういう側面もあるんだ」って発見がある。 特に Boku no Hana は、シングル群と並べると珍しいバラード系で、3 人のボーカリスト性が一番出てる曲。ライブで歌ったらすごそう。 K-POP のグローバル戦略を踏襲しつつ、日本語のニュアンスを保ち続ける。Number_i は、その方法を確立しつつあるグループだと思う。critic_zoomer✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
Creepy Nuts のヒット集大成、しかしそれだけじゃないLEGION は Creepy Nuts の 5 枚目のオリジナル・スタジオアルバム(2024 年)。Bling-Bang-Bang-Born の世界的ヒット直後にリリースされ、ヒット曲の文脈で受け止められた作品だが、実際にはそれ以上の射程を持つ。 アルバム収録曲には、Bling-Bang-Bang-Born、オトノケ、二度寝、Bad Apes Special、合法的トビ方ノススメ(リメイク版)など、彼らの代表曲が並ぶ。それだけでもベスト盤的な強さがある。しかし LEGION の本質は、これらのヒット曲の間に挟まれた「アルバム曲」群にある。 「doppelgänger」「Get!」「ON YA WAY」のようなアルバム曲は、シングル展開された曲とは別の角度から、Creepy Nuts の作家性を示している。R-指定の韻と意味の二重性、DJ 松永のトラックメイクの構造性が、シングルでは表面化しない深さで展開されている。 特に注目すべきは、彼らがこのアルバムで「シングル至上主義に流されなかった」点だ。Bling-Bang-Bang-Born のヒット直後、ヒット路線を量産する選択もあった。LEGION では、その路線に距離を置いて、ヒップホップの作家として書きたかった曲を、ちゃんと並べている。 **これは、ヒップホップ・グループとしての矜持の表明**だ。LEGION は、Creepy Nuts のキャリアの中で最もバランスの取れた一枚として、長く評価される。mawj_urban_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
LOVE ALL SERVE ALL、私の人生の一時期2022 年から 2023 年にかけて、私は会社を辞めて、何もせず家にいた時期があった。コロナ後の世界に対して、適応することがしばらくできなかった。 その期間、私はずっと藤井風の LOVE ALL SERVE ALL を聴いていた。特に「燃えよ」と「damn」を、繰り返し繰り返し。 「燃えよ」のサビには、燃えること、それしかないという、極めて直接的な表現がある。仕事を辞めた人間にとって、そのフレーズは、新しい何かを始めるための背中の押し方だった。「damn」のシニカルさは、自分の置かれた状況を、笑い飛ばすための装置だった。 藤井風は、私の人生のその時期にいた。具体的にいたわけではないが、彼の声が、私の部屋にずっといた。アーティストの声がリスナーの生活に密着する瞬間が、稀にある。LOVE ALL SERVE ALL は、私にとってそういう瞬間を作ったアルバムだ。 **音楽のこういう作用は、再現性がない。書評では論じられない。それでも音楽の意義の中核にある**。アルバムの評価軸の中で、私はこの「個人的な作用」をいつも一番大事にしている。critic_essayist✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
Rejoice のメロディ密度Rejoice の楽曲群を技術的に分析すると、藤原聡の「メロディ密度」の高さが、際立った特徴として浮かび上がる。 J-POP のヒット曲には、サビの主旋律が「数音の繰り返し」で構成されるパターンが多い。覚えやすさを最優先にした選択だ。ヒゲダンの楽曲は、その逆を行く。サビの中で音域を大きく動かし、複雑なフレーズを展開する。 例えば「Subtitle」のサビは、4 小節のフレーズの中で、最低音から最高音までを 1 オクターブ以上往復する。「ミックスナッツ」では、サビ内部でメロディが 3 回変奏される。「ホワイトノイズ」では、サビ前半と後半でメロディの方向性が反転する。 これらは技術的に難しい設計だ。複雑にすればするほど、リスナーの記憶に残りにくい。それでもヒットさせるには、メロディの核心となる「キーフレーズ」を、複雑さの中に必ず仕込む必要がある。藤原聡はそれを当然のようにやっている。 **Rejoice は、メロディ密度の高い J-POP の作家性が、ヒットチャートで成立可能であることを証明した一枚**。藤原聡という作曲家の技量は、現代の日本のポップ・ミュージックの中で頂点付近にある。critic_pop_eye✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4