ヒゲダンの 4 枚目、円熟期の入口Rejoice は Official髭男dism の 4 枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム(2024 年 4 月発表)。前作「Editorial」(2021)から 3 年のインターバルでリリースされた。 このアルバムの特徴は、収録曲の「ヒット曲としての強さ」と「アルバム曲としての奥行き」の両立にある。Subtitle、ホワイトノイズ、Universe、SOULSOUP、Same Blue、ミックスナッツ、TATTOO──既にヒットしていたシングル群に加えて、アルバム曲として書かれた「日常」「Get Back To 人生」などが極めて高い完成度を持つ。 藤原聡の作詞・作曲・歌唱の振れ幅が、これまでで最も広い。Subtitle の繊細なバラード、ミックスナッツの軽快なポップス、SOULSOUP の祝祭的なロック──作家としての引き出しを、アルバムを通して順番に提示する構成。 ヒゲダン(4 人組のバンド:藤原聡・小笹大輔・楢崎誠・松浦匡希)は、もはや「J-POP のバンド」という枠を完全に越えている。Rejoice は、その越境がほぼ完成した時期の代表作として、長く参照されるはずだ。 **ライブで成立する曲・録音物として完璧な曲・物語の主題歌として機能する曲、3 軸すべてで頂点付近にいる**バンドは、現代の日本では数えるほどしかいない。Rejoice はその希少な達成の証拠。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →6
Number_i のデビュー・アルバム、戦略の集約Number_i(平野紫耀・神宮寺勇太・岸優太)の TOBE 移籍後、初のフルレングス・アルバム(2025 年)。グループ名から派生したタイトル「No.O -ring-」は、彼らの「初期点」と「ループ」の両方を含意する。 アルバム収録曲は、すでに先行リリースされた INZM、GOD_i、UMA、Boku no Hana、それに新曲群。先行シングルがすべて Billboard Japan Hot 100 で 1 位を取得しているという、極めて稀有な状況下でリリースされたアルバムだ。 楽曲面の特徴は、前述したシングル群の「US 寄りトラップ・サウンド」を維持しつつ、アルバム曲として書かれた数曲で、明確に J-POP 寄りに引き戻している点にある。シングルでは挑戦的な音楽を提示し、アルバム曲で受け止め可能な領域に着地させる。**これは戦略として極めて緻密**で、デビュー・アルバムとしての完成度を高めている。 平野紫耀のプロデュース・ワークも、シングルでの実験性とアルバムでの一貫性を両立する役割を果たしている。3 人の声の役割分担も、アルバムを通して一貫している。 旧 King & Prince 時代から、Number_i としてのリブランドまで、彼らのキャリアの転換点を完全に正当化する作品だ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
YOASOBI の代表的なミニアルバムシリーズの第 3 作THE BOOK 3 は、YOASOBI のミニアルバムシリーズ「THE BOOK」の第 3 作(2023 年 10 月発表)。「アイドル」「勇者」「祝福」「セブンティーン」などの大ヒット楽曲を含む、彼らのキャリアの中核的な作品だ。 THE BOOK シリーズの設計は、毎回明快だ。各曲が一つの原作小説に基づいて書かれる、いわゆる「コンセプチュアル・コラボレーション」のフォーマット。これが他の J-POP のアルバムとは決定的に違う点で、YOASOBI のすべての楽曲は「物語のサウンドトラック」として書かれている。 THE BOOK 3 の中で特に重要なのは「アイドル」「勇者」だ。アイドルは赤坂アカ・横槍メンゴ「【推しの子】」のサウンドトラック、勇者は山田鐘人・アベツカサ「葬送のフリーレン」のサウンドトラック。両作品とも、アニメ化を経て世界的にヒットした、2020 年代の代表的な原作群。YOASOBI の楽曲は、これらの作品の物語性を、3 分台の楽曲に圧縮することに成功した。 これは技術的に極めて難しいタスクだ。長編の原作の主題を、短い楽曲に込める。Ayase の作詞・作曲、ikura のボーカル、両者の協働がなければ実現しなかった。 **THE BOOK 3 は、YOASOBI が「アニメ・タイアップ作家」として最も活躍した時期のドキュメント**として、長く参照されるはずだ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →6
Mrs. GREEN APPLE の「フェーズ 2」を確立した一枚Mrs. GREEN APPLE は 2020 年にフェーズ 1 を一度終了し、2022 年に「フェーズ 2」として再始動した。ANTENNA はそのフェーズ 2 の初のオリジナル・アルバムであり、彼らの新章を音楽的に確立した重要作品だ。 フェーズ 1 までの彼らは、青春・希望・前進をテーマにした、明るく直線的なバンドだった。「青と夏」「インフェルノ」「点描の唄」など、いずれも上昇するメロディと加速するテンポが特徴だった。 ANTENNA では、その路線を一旦相対化している。「ダンスホール」「Soranji」「ナハトムジーク」のように、これまでの彼らになかった「重力のある曲」が並ぶ。ダンスホールは EDM の語法、Soranji は映画「ラーゲリより愛を込めて」主題歌、ナハトムジークはクラシック寄りの叙情。3 つの異なる方向性を、同じバンドで等しく成立させている。 これがフェーズ 1 までの彼らだったら、ここまでジャンル的な振れ幅は試みなかったはずだ。**フェーズ 2 のテーマが「拡張」であり、その拡張の試行錯誤が ANTENNA というアルバムの輪郭を作っている**。 その後の彼らの動き(KUSUSHIKI、ライラック、Bitter Vacances、lulu.)を見ると、ANTENNA で試した拡張のうち、いくつかが彼らの核として定着していることが分かる。ANTENNA は、その変化の起点として、長く参照されるはずだ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
「失われた角」というタイトルが意味するものLOST CORNER は、米津玄師にとって 5 枚目のオリジナル・スタジオアルバム。前作 STRAY SHEEP(2020)から実に 4 年ぶりのフルレングスとなる。 このインターバルの長さは、米津玄師というアーティストの作家性を改めて確認するために、必要だった時間に思える。STRAY SHEEP までの彼は、ニコニコ動画出身のシンガーソングライター(ハチ)から「Lemon」のヒットを経て、国民的アーティストへと駆け上がった。LOST CORNER は、その「国民的アーティスト」としての立ち位置から少し降りたところで書かれた一枚だ。 収録曲には、すでにヒットしていた「KICK BACK」「LADY」「さよーならまたいつか!」「地球儀」「がらくた」などの代表曲群が並ぶ。これだけのシングルが既存のアルバムなら、それだけで聴き応えがあるはずだ。しかし LOST CORNER の本質は、シングル群の間に挟まれたアルバム曲群にある。 「マルゲリータ」「毎日」「Pale Blue」「LOST CORNER」(タイトル曲)など、シングルにならなかった曲こそが、このアルバムの作家性を語っている。**シングルは商業的な要請で書かれ、アルバム曲は作家としての本心で書かれる**──これは多くのアーティストに共通する構造だが、米津玄師ほどその落差が大きく、しかも両方の水準が高い作家は珍しい。 タイトル「LOST CORNER」(失われた角)は、彼自身の心象風景の比喩だろう。国民的アーティストとして全方位に開いた表現の中で、誰にも見せていない場所がある──それを認識しつつ、しかしそこへ完全には踏み込まないバランスで、このアルバムは閉じられている。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →1
三人のボーカリストが対等に立つコラボの稀有な例milet × Aimer × 幾田りらによる「おもかげ」は、Netflix のアニメ「サイバーパンク エッジランナーズ」のエンディング・テーマとして発表された。日本の女性ボーカリスト 3 人によるコラボレーションで、これだけ対等な配分ができている例は、近年では稀だ。 楽曲構造を見ると、3 人それぞれに「色」を持たせる工夫が緻密に組まれている。milet のロー寄りの太い歌唱、Aimer の中音域のハスキーなコク、幾田りら(YOASOBI の ikura)の高音域の透明感。3 人が異なる音域と異なるトーンで歌うことで、楽曲の中に立体感が生まれる。 コラボレーション楽曲の難しさは、誰か一人が前に出すぎると、ほかの 2 人が「ゲスト的」に見えてしまうことだ。「おもかげ」では、Verse、Pre-chorus、Chorus、Bridge のそれぞれで、3 人のリードが入れ替わる。誰も「メイン」ではなく、誰も「サブ」ではない。 これは設計上の手腕でもあるし、3 人のボーカリストの実力が拮抗していることの証左でもある。**コラボレーション楽曲の理想形のひとつ**。 「サイバーパンク」というタイアップ作品の世界観(壊れていく未来都市と、それでも残る感情)を、3 人の声がそれぞれ別の角度から照らす。原作との同期も高く、楽曲単独でも成立する。極めて完成度の高い 1 曲だ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
Official髭男dism のキャリア最高傑作Official髭男dism の「Subtitle」は、ドラマ「silent」(フジテレビ)の主題歌として 2022 年に発表された。発表後、Billboard Japan Hot 100 で 1 位を獲得し、それ以降、ロングテール型ヒットとして数年単位でチャートに滞在し続けている、近年の J-POP の代表的な一曲だ。 ヒゲダンの楽曲群の中でも、Subtitle は明確に「キャリア最高傑作」と評価されるべき作品だと考えている。理由は 3 つある。 ①藤原聡のメロディラインの完成度。サビの主旋律が、A メロ、B メロから一切途切れることなく、自然な流れで頂点に達する。これは作曲技術として、ジャンルを超えて稀に到達できる水準。 ②歌詞と楽曲構造の同期。「silent」というドラマの主題(聴覚障害をめぐるラブストーリー)が、楽曲の「サビでの音域の上下動」と完全に呼応している。サビ前半で「届かない」感情が音域の高さで表現され、サビ後半で「それでも繋がろうとする」意志が音域の安定で表現される。 ③演奏面での緻密さ。ピアノ、ストリングス、ベース、ドラムの配置が、それぞれ「歌唱の感情のピーク」を支援するために最適化されている。多くの J-POP のバラードでは、伴奏が単に歌唱を支えるだけだが、Subtitle では伴奏自体が感情の語り手として機能する。 **Subtitle は、ヒゲダンが「ヒット曲を量産するバンド」から「J-POP の歴史的な楽曲を書けるバンド」へと脱皮した瞬間** だと記憶されるべきだ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
ME:I が示す「日本発 K-POP フォーマット」の現在地ME:I は「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」から誕生した 11 人組グループ。LAPONE エンタテインメント所属で、デビュー曲「Hi-Five」に続く「Click」が日本のチャートに長期間滞在した。 ME:I の音楽的特徴は、JO1、INI と続いてきた「日本発 K-POP フォーマット」の女性版として、過去のグループからの蓄積を継承している。プロダクション、ボーカル指導、ダンス・コレオグラフィ、すべて K-POP のスタンダードで仕上げられている。 「Click」の楽曲構造は、サビでのフック、Verse でのラップ・パート、ダンス・ブレイク──いずれも K-POP の典型的な配置。日本独自の要素は、メンバーの日本語フィクションの自然さに留まる。 これは批判ではなく、観察だ。ME:I の戦略は明確で、「日本市場の中で K-POP のクオリティを供給する」ことに集中している。それが当面の市場のニーズに合致している。 **ME:I が今後、JO1 や INI と差別化されたグループとしての色を獲得していけるか**が、長期キャリアの鍵になる。Click の段階では、まだその色は確立していないが、メンバー個別の存在感は年々上がっている。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →2
K-POP 4 世代の到達点としての MagneticILLIT は HYBE 傘下の BELIFT LAB から 2024 年 3 月にデビューした 5 人組 K-POP ガールズグループ。デビュー曲「Magnetic」は、日本のチャートでも長期間滞在した、4 世代 K-POP の代表的なヒット曲だ。 楽曲の特徴は「Easy Listening 化された K-POP」という新しいフォーマットを提示したこと。サビが派手に展開せず、むしろ A メロから一定の音圧で進む。これは過去の K-POP(2 世代の少女時代、3 世代の TWICE、ITZY)の常套手段だった「サビでの音圧の爆発」を意図的に避けている。 代わりに ILLIT が選んだのは、サビの「メロディの引っかかり」を最大化する戦略。「Magnetic」の中で繰り返される「My boy got me looking so crazy」というラインは、数音だけのシンプルなメロディだが、これが TikTok のショート動画に最適化された短さとフックを両立する。 **Magnetic は、TikTok 時代の K-POP の最適解の一つ**として、長く参照されるはずだ。日本のチャートで滞在し続けた事実も、その普遍性を示している。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
Ado の表現幅を一段階広げた曲Ado の「唱」は、彼女の楽曲群の中で「歌唱の振れ幅を最大化した」一曲として位置付けられる。 Ado のキャリアは「うっせぇわ」(2020)の衝撃から始まった。10 代の女性ボーカリストが、ここまで多彩な歌唱表現を持つことが、当時の業界の常識を更新した。「踊」「ギラギラ」「新時代」と続くヒット群でも、毎回違う声色、違うフロウ、違う感情の振れ幅を提示してきた。 「唱」では、その振れ幅をひとつの楽曲の中に圧縮している。冒頭のささやくような低音域、中盤の激しいシャウト、サビでのストレートな歌唱、終盤での祈りのような静謐。**3 分強の楽曲の中で、彼女の歌唱の引き出しのほぼすべてが順番に提示される**。 これは技術的に極めて難しい構成だ。多くのボーカリストは、1 曲の中で 1 つか 2 つの「色」しか出さない。それは集中度を保つためでもあり、楽曲の統一感を保つためでもある。Ado はそれを意図的に破る。それでも楽曲が分裂しないのは、彼女のボーカリストとしての地力が、すべての色を「Ado の声」として統一しているからだ。 Ado の今後の楽曲も、この「振れ幅の同時提示」を継続するか、別の方向へ向かうか。次の段階が興味深い。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →4
King Gnu のバラード代表曲としての存在感King Gnu の楽曲群を整理する時、私は「祝祭系(白日、SPECIALZ、飛行艇)」と「内省系(三文小説、Stardom、Vinyl)」の 2 系統に分けている。 三文小説は、後者の系統の代表作だ。発表時の Billboard Japan Hot 100 で 1 位を獲得し、それ以降のロングテールでも長期間チャートに滞在している。**バラードのヒットというのは J-POP 全体で見ても珍しく**、近年だと米津玄師「Lemon」、優里「ベテルギウス」と並ぶ系譜にある。 楽曲面での King Gnu らしさは、サビでの井口理のファルセットの使い方、常田大希のコーラスの被せ方、新井和輝のベースの旋律性。これらが組み合わさることで、ピアノとボーカルが主役のバラードでありながら、バンドサウンドとしての厚みを失わない。 「白日」がドラマ「イノセンス 冤罪弁護士」の主題歌として発表され、King Gnu を一般層まで広げた一曲だとすれば、三文小説は彼らがバラードでもチャートを獲れることを示した一曲。バンドとしての射程を一段階広げた重要な楽曲だ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →2
Vaundy の代表曲、長期チャートインの理由Vaundy の「怪獣の花唄」は、2020 年に発表されてから現在に至るまで、日本のストリーミング・チャートに継続的に滞在し続けている、極めて稀な楽曲だ。 「dish//」のシングル「猫」と並ぶ、ロングテール型ヒットの代表例として記録される。発表時は瞬間的な大ヒットではなく、徐々にカラオケランキング、TikTok BGM ランキング、Spotify Daily Viral などで存在感を増していった。 楽曲の構造を見ると、長期滞在の理由がいくつか見える。まず、コード進行が極めてシンプル(基本的にダイアトニック)で、誰でもギターやピアノで弾ける。これがアマチュア演奏者によるカバーを生み、SNS での再生産を促した。 次に、メロディの「サビ落ち」構造。サビが上昇するのではなく、むしろ落ち着いた音域に降りてくる。これがカラオケでも歌いやすく、世代を問わずアクセスできる。 そして歌詞。「怪獣」という比喩がどんな対象にも当てはまる柔軟性を持つ。失恋ソングとしても、家族関係の歌としても、青春の終わりの歌としても、聴き手が読み込める。 **特定の世代やシチュエーションに紐付かない普遍性が、長期チャートインの構造的根拠**だ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →3
YOASOBI のグローバル・ブレイクを決定した一曲YOASOBI の「アイドル」は、2023 年の Spotify Global Viral Top 50 で長期間 1 位を記録し、Billboard Global 200 にもチャートインした、日本語楽曲としては歴史的なヒットだ。 「【推しの子】」(赤坂アカ・横槍メンゴ)の OP テーマとして発表されたこの曲は、原作の主題(虚像と実像の二重構造)を、楽曲のあらゆる要素に組み込んでいる。 特徴的なのはサビのメロディ構造で、4 小節のフレーズを、まったく違うコード進行の上で 2 回繰り返す。1 回目は「アイドル」というキャラクターの表のメロディ、2 回目は同じメロディを別のコードに乗せ直すことで、裏のメロディとして機能させる。**1 つの楽曲の中に、表と裏の二重構造が音楽的に書き込まれている**。 歌詞も同様の二重性を持つ。「無敵」「最強」というキーワードと、「嘘」「秘密」というキーワードが交互に現れる。読み方によって全く違う曲として聴こえる。 ikura のボーカル、Ayase の作曲、両者の構造設計、すべてが原作の主題と緻密にリンクしている。アニメ OP としても、楽曲単独としても、グローバル市場での日本音楽の到達点としても、複数の観点で評価される一曲だ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →2
YOASOBI の「次のフェーズ」YOASOBI が「夜に駆ける」「アイドル」と続けてきたメガヒットの後で、「勇者」は彼らのキャリアの中でどう位置付けられるか。私の見立てでは、これは彼らの「次のフェーズ」を告げた曲だ。 それまでの YOASOBI のヒット曲は、いずれも「物語の登場人物が、その物語の中で歌う」という設定だった。「夜に駆ける」「群青」「あの夢をなぞって」「アイドル」──全て、原作小説や原作アニメのキャラクターの一人称視点。 「勇者」は違う。フリーレンの一人称視点ではなく、フリーレンを見守る誰か、あるいはフリーレンの旅そのものを俯瞰する視点。Ayase が書いた歌詞も、明確に「主人公の歌」ではなく「主人公への歌」になっている。 これは大きな変化だ。**主人公の心情を歌う YOASOBI から、主人公を見送る YOASOBI へ。** ユニットとしての射程が広がった。 その後の楽曲(「アドベンチャー」「UNDEAD」など)でも、この「俯瞰の視点」が徐々に増えている。勇者は、そのフェーズ転換点として記憶されるべき一曲だ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
SixTONES の「歌で勝負する」フェーズSixTONES のここ数年のシングルは、「ロックバンドのようなアイドルグループ」という独自のポジションを掘り下げてきた。「マスカラ」「こっから」「Boom-Pow-Wow!」「ABARERO」──いずれもバンドサウンドを軸にしたパフォーマンス重視の楽曲だ。 「一秒」は、その路線の中で、より「歌そのもの」に重心を置いた一曲だ。バラード寄りのテンポ、抑制された伴奏、ボーカルの聞かせどころの増加。Jesse、京本大我のソロパートでの表現力が、これまで以上に前景化している。 タイトル「一秒」が示す通り、歌詞は時間の一瞬を切り取るモチーフで構成される。**一瞬の感情を引き伸ばして数分の楽曲に展開する** のは J-POP のバラードの常道だが、SixTONES がそれを正攻法で書いてきたのは新鮮だ。 6 人のグループであるからこそ可能な、コーラスワークの厚みも生きている。サビでの 6 声によるユニゾンと、終盤での 6 声によるハーモニー。アイドル・グループの音楽的射程を、6 人編成で最大化している。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
INI が見つけた、自分たちのオリジナル文法Billboard Japan で 1 位を獲得した「All 4 U」は、INI にとって特殊な意味を持つシングルだ。これは彼らがオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN SEASON 2」を起点に持つグループとして、もう「番組のフォーマット」に縛られないところまで来た、と宣言している曲に聴こえる。 K-POP グローバル方式の発音処理(韓国ローマ字読み)と、J-POP 的なメロディの起伏。これまで INI が試行錯誤してきた両者のバランスが、All 4 U では一回完成形を見せている。 特に注目すべきは、ラップ・パートの量だ。これまでの INI の楽曲では、ラップは「アクセント」として扱われていた。All 4 U では、ラップがフックとボーカル・パートと同じ重みで配置されている。ラップ専門メンバー(拓実、瑛二)の表現力が、グループの主軸として機能している。 K-POP オーディション出身グループが日本のチャートで 1 位を取り続けている現状は、もはや「韓国の流儀の輸入」では説明できない。彼らは自分たちのオリジナル文法を組み立てている。**INI は、その最先端にいる**。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →6
Mrs. GREEN APPLE の「次のフェーズ」を告げる曲2026 年 1 月 21 日付の Billboard Japan Hot 100 で初登場 1 位、翌週も 1 位──「lulu.」が示したのは、Mrs. GREEN APPLE がもう「ヒット曲を作るバンド」ではなく、**「彼らの曲が出ること自体がイベントになるバンド」になった** という事実だ。 「KUSUSHIKI」「Bitter Vacances」「ライラック」と続いてきた近年の彼らは、毎回違うアプローチでヒットを作ってきた。lulu. はその中で、最も「肩の力が抜けている」一曲だと思う。 イントロの広がり方、A メロでの大森元貴の声の置き方、サビでの音圧の作り方──全部、過去の Mrs. GREEN APPLE のヒットを参照しているようで、しかし参照を超えている。彼らは「自分たちの過去のヒット」を素材にして次のヒットを書いている。これは、活動が長いバンドだけが到達できる地点だ。 歌詞に「lulu.」というキーワードが繰り返し出てくる。意味を一義に決めない、しかし聴き手の中で何かを名指す感触がある。固有名詞のような、しかし造語のような。これも近年の彼らの常套手段で、ヒット曲のメロディの中に「個人的に大事にしたい言葉」を仕込んでくる。 J-POP のチャートを 7 曲同時に占めた 2025 年の異常な数字(Spotify Wrapped Japan)は、こういう積み重ねの上にある。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →2
Number_i が遂に「J-POP」を引き受けた瞬間2025 年までの Number_i は、明らかに国内の J-POP 文脈を一旦保留して走り抜けた 3 人組だった。INZM、GOD_i、UMA──どれも、ヒラノショウのプロデュースが指向していたのは US 寄りのトラップ/ベース寄りの空気で、歌唱というより「乗りこなし」が主役だった。 「3XL」はその流れで来ると思って身構えていた人ほど、肩透かしを食らったはずだ。フックの主旋律がすごく素直で、サビ前のリフトの取り方も J-POP として完全に成立している。何より、3 人の声が、初めてフレーズの中で「役割」をきっちり果たしている。岸優太の太さ、神宮寺勇太の透明感、平野紫耀のトップノートが、ようやく相対化された。 これはたぶん、フィジカル CD で 38 万枚を動かした 4 月の数字(Billboard Japan)から逆算して書かれた曲ではない。先に曲があって、結果として一般層が捕まったタイプ。それを Number_i は、もう恐れていない。 Mrs. GREEN APPLE が J-POP の中央を占有している今、彼らがそこに本気で殴り込むなら、こういう曲だ──と提示してきた。**3XL は、Number_i が「J-POP を引き受ける」という決断の音楽** だと思う。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月10日·2min readRead →5
—97 年世代が選んだ、メジャーシーンへの『さよなら』ではない手紙ナンバーガール、スーパーカー、くるり。1997-99 年にメジャーデビューした「97 年世代」と呼ばれる三組の中で、くるりは最も J-POP の文法に近い場所から出発し、最も遠くまで漂流したバンドだ。本作はそのスタート地点。 佐藤征史のベースは、当時の日本のオルタナとしては異例にメロディアスで、岸田繁のギターはまだストロークとアルペジオの中間で迷っている。「東京」「もしもし」「虹」の連続は、シンプルなコード進行と素朴な日本語の組み合わせで、フリッパーズ・ギター以後・Mr.Children 以後の双方からの影響を整理しようとしている。 プロデュースの佐久間正英は、バンドの未熟さを意図的に残した。ギターの音作りは荒く、歌唱の音程は時に不安定で、それが本作の感情的な信頼性を支える。「ハイウェイ」(後年作)に見られる完成度の高さとは異なる、別種の魅力。 2026 年、岸田繁はオーケストラ作品を発表し、くるりは日本のロックバンドとしては異例の知的拡張を続けてきた。本作はその出発点であり、20 代前半の若者が「上手くやろうとしない」ことの清々しさが封じ込められている。後の彼らに会いたい人ほど、本作に戻る必要がある。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
日本のテクノが、ユーモアを武器化した瞬間1993 年、ヨーロッパのテクノは Warp や R&S を中心に「真面目な未来音楽」へと自己定義していた。同時期、ピエール瀧と石野卓球は、その真面目さを意図的に脱臼させる方向を選んだ。本作はその方法論が初めて全面化したアルバムだ。 「N.O.」のミニマルなシンセシーケンスとふざけた日本語、「ノーフューチャー」の脱力したコーラス。これらは欧州的テクノの厳粛さを真正面から茶化す身振りだが、トラック自体の作りは決して舐めていない。石野卓球のシンセプログラミングは、当時の日本のテクノとしては国際水準にあった。ふざけと技術の両立が、本作の核にある。 歌詞は徹底してナンセンスで、しかしそのナンセンスは政治的でもある。バブル崩壊直後の「真面目に未来を語れない」空気を、彼らは未来音楽の側から皮肉に応答した。それは Yellow Magic Orchestra の啓蒙的姿勢からの、明確な離脱でもあった。 2026 年、Aphex Twin の不謹慎さや、最近の hyperpop のメタユーモアを聴く耳には、本作の身振りは妙に同時代的に響く。日本のテクノが「真面目さ」を経由せずに国際性を獲得した、稀有な事例。瀧の薬物逮捕後の評価の混乱を経た今こそ、作品単体としての再聴の意義がある。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →2
—シティポップという語が逆輸入される前の、本人による静かな更新90 年代後半の山下達郎は、80 年代の『FOR YOU』『MELODIES』で確立したシティポップ的記号性から距離を取り、よりゴスペル/オールディーズ寄りのシンガーソングライターへと舵を切っていた。本作はその過渡期の到達点だ。 「DREAMING GIRL」「LOVELAND, ISLAND」のような夏のアンセムは、本作には存在しない。代わりに、「ヘロン」「アトムの子」「LOVE CAN GO THE DISTANCE」のような、内省的な中規模の楽曲が並ぶ。アレンジは引き算が徹底され、青山純のドラム、伊藤広規のベース、達郎本人のギター、難波弘之の鍵盤というコアバンドの呼吸が、楽曲の骨格を直接支える。 歌唱は本作で一段階深い場所に降りた。彼のファルセットは 90 年代を通じて変化し、本作では「美しさ」より「正確さ」を選んでいる。これはトップ 40 マーケットを既に降りた表現者の選択だ。 2026 年、海外で「City Pop」が再発見されるとき、参照されるのは決まって 80 年代前半の達郎であって、本作ではない。だが、シティポップの本人が 90 年代後半にどう自分の音楽を扱い直したか、というメタな記録として、本作は批評的に重要だ。リバイバルされない作品にこそ、作者の現在地が表れる。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
—轟音と日本語の和解、吉村秀樹が遺した最も静かな轟音90 年代の日本のオルタナティブ・ロックが eastern youth、ナンバーガール、bloodthirsty butchers の三角形で語られるとき、ブッチャーズは最も「音響的に困難」な極にいる。本作は彼らの代表作であり、轟音ハードコアと日本語抒情を同じ尺度で評価する作法を確立した。 吉村秀樹のギターは、メタル的な切れではなく、ノイズロックの鈍い厚みを志向する。だが歌唱はそれを切り裂くようにメロディアスで、喉の限界での発声が、楽曲を破壊するのではなく支える。「未完成」「鉄槌」のサビで顕著だ。ここには、轟音の中で言葉を聞き取らせるための、独特の音圧設計がある。 プロデュース面では、低音が極端に削られ中域が膨張する。これは Steve Albini 的なドキュメンタリー録音とは別の選択で、楽曲の感情の重心を意図的に「胸の上の方」に置く効果を持つ。日本のポストハードコアの基本作法のひとつになった。 2026 年、吉村秀樹の早すぎる逝去によって、本作は遺作的な重みを後付けで帯びた。だが録音された 1996 年時点では、これは未来に向かって投げ出された問いだった。日本語と轟音は和解できるか。本作はその問いに、和解ではなく共存という答えを返した。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →6
90 年代 J-POP の語法を、女性の身体に取り戻した記録2000 年 3 月の作だが、その音楽性は完全に 90 年代後半 J-POP の語彙で書かれている。本作は、aiko の「キャラクター先行」のイメージを退け、ソングライターとしての評価を確定させた一枚だ。 彼女のメロディは、転調を多用しながらも歌として歌いやすい。これは矛盾した条件で、たいていの作家は転調を増やすほど歌いにくくする。aiko は転調を「歌い手の感情の変化」として配置し、構造的な複雑さをエモーショナルな自然さに見せかける技を持っている。「桜の時」「初恋のひと」のサビ前の半音上行は、その典型例だ。 歌詞の一人称は明確に女性で、性愛と日常が躊躇なく接続される。「あなたといる時の私を、私は好きじゃない」というような自己観察が、メロディの可愛らしさと不協和音を起こす。これは小室哲哉時代の女性 J-POP ボーカリストには許されなかった発話だ。 2026 年、aiko の評価は「コアファンが支える長期キャリア」として安定しているが、本作の批評的射程はまだ十分に語られていない。彼女が J-POP の文法に書き加えた「女性の主観の解像度」を、初期作で確認できるのが本作だ。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →5
ジャパニーズ・ヒップホップが、日常を語る言葉を発明した日「今夜はブギー・バック」(1994)の余熱が冷めない時期にリリースされた本作は、スチャダラパーが「ノベルティ」から逃げ切るための重要な一手だった。日本のヒップホップが「強さ」「ストリート」を直訳的に輸入していた中、彼らは別の道筋を選んだ。日常、ダラけた休日、コンビニ、駄菓子。これらをリリックに配置することで、英語の bragging rap が持つ自己拡張のフォーマットを、日本の若者の生活サイズに翻訳した。 SHINCO のトラックは、ATCQ や De La Soul を参照しつつも、サンプル素材は日本の歌謡曲・特撮・アニメ。文化的トランスレーションの手つきがソースの選び方そのものに表れる。「サマージャム'95」の解放感は、ATCQ の『Midnight Marauders』の手触りを夏の埼玉に移植した結果だ。 Bose の声は、ラップが本来必要とする攻撃性を意図的に脱臼させる。彼の発音は説教ではなく、雑談のリズムだ。それが ANI の応答と組み合わさって、ヒップホップを「会話の音楽」に変換した。 2026 年、Creepy Nuts の R-指定があらゆる場所でスチャダラを参照する事実は、本作が日本語ラップにとっていかに遺伝的に深いかを証明している。日常をリリックにする許可は、ここから配られた。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →5
ファンクをコソコソ歌う、日本的ペシミズムの達人90 年代後半の J-POP が、ミスチル的な肯定とハマちゃん的な熱量に二極化していた頃、スガシカオは第三の声を持ち込んだ。それは、囁くように歌うファンク、というほぼ矛盾した発明だった。 本作冒頭「ぼくたちの日々」のカッティングギター、井上鑑のアレンジ、そしてスガの本人比でかなり力の抜けた歌唱。ファンクは本来、声を張って空間を支配する音楽だが、彼はその文法を反転させた。「8 月のセレナーデ」「ストーリー」と続く流れは、JB やプリンスの語彙を借用しながら、日本人の自意識のサイズに切り詰める作業だ。 歌詞は徹底して内向きで、自己嫌悪と性的執着が交互に登場する。「黄金の月」のスマッシュ・ヒットが本作以前にあったため、リスナーは「爽やかな SSW」を期待してアルバムに辿り着くが、実際に提示されるのはもっと暗いテクスチャだ。スガはその落差を計算に入れていた。 2026 年、シティポップ・リバイバルの文脈でスガシカオが語られる場面は少ない。それは彼の音楽が踊らせるためではなく、家で一人で聴くために書かれているからだ。本作はファンクをチル化した先駆として、再評価の余地が大きく残されたままだ。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
サイケデリアの作法を、ガレージで再加工した三人組の宣言メジャー移行後の『空洞です』が国際的な評価を獲得したことで、初期ゆらゆら帝国の真価は一時、影に隠れた。本作はメジャーデビュー作だが、PSF レコード時代のアンダーグラウンドの汗をまだ濃厚に残している。 坂本慎太郎のギターは、この時期は明確にニール・ヤング『Zuma』期の即興性を参照している。だがスタジオの広さを意図的に狭く録ることで、サイケデリアを 60 年代へのノスタルジーから引き剥がし、現在進行形の鬱屈に変換する。「人間ロボット」「ゆらゆら帝国で考え中」のドラム亀川千代の重さは、ストーナーロック以前にこの密度を出していた事実が驚異的だ。 歌詞は徹底して文意を裏切る。意味を探そうとすると砂のように崩れ、意味を諦めると突然、強烈なイメージが立ち上がる。坂本の歌唱は表現ではなく、口の形そのものをサウンドとして配置している。 2026 年、ゆらゆら帝国は「日本語ロックの最重要バンド」として神話化されたが、本作の段階ではまだ、変な三人組がスタジオで何かを試している記録に過ぎない。その未完成さこそが、後年の完璧主義へと繋がる原型を見せてくれる。神話化される前の彼らに会える、貴重なドキュメント。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
『LIFE』というタイトルの傲慢さ、そしてそれを赦してしまう祝祭性フリッパーズ・ギター解散後、小沢健二は短期間でこの音響的に異様にゴージャスな一枚を作り上げた。「ラブリー」「愛し愛されて生きるのさ」「東京恋愛事情」が連続する前半は、ポップ・ミュージックがどこまで多幸感の濃度を上げ得るかという限界実験のように響く。 ストリングスはピーター・トーマス・サウンド・オーケストラを直接参照し、ホーンセクションは『What's Going On』を経由したフィリーソウルの語法を踏襲する。だが小沢の歌唱は意図的に下手糞で、それが楽曲のエレガンスとぶつかって独特の摩擦を生む。「上手く歌う気がない王子様」の身振り。これは小山田圭吾が選ばなかった道だ。 歌詞は「神様を信じる強さを僕に」と歌うほど無防備で、それを 26 歳の男が歌うことの恥ずかしさを、本人がよく自覚している。その自覚と恥ずかしさを引き受ける覚悟が、本作の核にある。「強い気持ち・強い愛」の自己肯定の押し売りすれすれの強度は、シンセイザーの弱小ヲタが書ける領域ではない。 2026 年から振り返ると、本作は「フリッパーズ的な皮肉」から「祝祭の引き受け」への転回点であり、後の長い沈黙と再起動の遠因にもなった。ポップが祝祭になるとき、その作者は何を引き受けるのか。本作はその問いを 30 年早く差し出していた。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →4
サンプリングを音響化する、小山田圭吾の四次元的ポップ渋谷系第一世代の出口で、小山田圭吾はオリジナル・ラヴや小沢健二と袂を分かつ進路を選んだ。本作はもはや、レアグルーヴへの愛着を表面化したコラージュ作品ではない。サンプリングという行為そのものを音響構造として再設計した、概念的な一枚だ。 「Mic Check」のステレオを跨ぐパン振り、「New Music Machine」のビーチ・ボーイズ的コーラスとブラックメタル風ノイズの衝突、「Star Fruits Surf Rider」のテンポ可変。本作はリスナーの空間認識を毎曲ごとにリセットする。同年のベックの『Odelay』が「コラージュ・ポップ」として国際的に評価されたが、コーネリアスはコラージュを聴覚体験そのものに変換することで一歩先に出た。 「Free Fall」のフェイクなボサノヴァと、その背後で鳴り続ける微細なグリッチ。当時はまだ「グリッチ」という語彙が一般化する前で、これらは単に「変な音」と呼ばれていた。だが小山田は、ノイズと旋律のヒエラルキーを意図的に転倒させていた。ソフトウェアではなく卓上のミキサーで、これだけの三次元音像を組み上げた手仕事の痕跡が、いま聴き直すと逆に新鮮に響く。 2026 年、本作はマシュー・ハーバートやフライング・ロータスの先駆として、海外の批評文脈で位置づけ直されつつある。日本のポップが世界の音響的議論に同期した、数少ない瞬間の記録だ。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →2
—90 年代の残り香で書かれた、ゼロ年代への診断書厳密には 2000 年作だが、本作の DNA は 90 年代後半の J-POP の臨界点にある。前作『無罪モラトリアム』が「文学少女のロック」だったとすれば、本作は「文学少女が役を演じることを引き受けた」記録だ。 「ギブス」「罪と罰」「ストイシズム」と並ぶ前半の流れは、J-POP のフォーマット(A メロ、B メロ、サビ、大サビ)を律儀に守りながら、その内部で語彙だけを膨張させる戦略を取る。亀田誠治のベース、村田陽一のホーンアレンジ、H ZETT M の鍵盤。これらが「商業 J-POP の一級職人」の腕で支えられている事実が、椎名林檎を「サブカル女性 SSW」の枠から強引に剥がした。 「依存症」のループするコード、「闇に降る雨」の戯曲じみた構成、「真夜中は純潔」のフォークロアな旋律。アルバムを通すと、ジャンルが安定しないことが意図的な構造として浮き上がる。誰にもなりたくないし、誰にでもなりたいという 22 歳の自意識が、商業性能と握手している奇妙な瞬間。 2026 年、椎名林檎は「東京事変」「君に問う」を経て国民的アイコンになった。だが本作にあるのは、まだ自分の影響力を計り損ねている若い書き手の素のテンションだ。後年の完璧主義の前夜の、設計過剰だが息が荒い録音。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
九州から来た少年たちが、日本語ロックの語尾を破壊した夏1999 年、東芝 EMI からのメジャーデビュー作。だが本作を「メジャー初」のフォーマットで聴くと、本質を取り逃す。これは、ピクシーズとフガジを正しく誤読した青年たちが、日本語の母音をいかに歪ませ得るかという実験記録だ。 向井秀徳の発声は、歌唱というより構音障害のシミュレーションに近い。「OMOIDE IN MY HEAD」の「ぼくはきみに会えるわけもなく」というラインで、語尾が必ず子音に詰まる。日本語は本来開音節の言語だが、彼はそれを強引に閉じる。田渕ひさ子のギターは、その閉じた音節の隙間にフィードバックを差し込む。中尾憲太郎のベースが、楽曲の重心を意図的に低く保つ。アヒトのドラムは、グランジ以後の遅さとハードコアの速さの中間で疾走する。 デイヴ・フリッドマン以前のセルフ・プロデュース作にも関わらず、ミックスは異様に高解像度だ。それは「上手い録音」ではなく「歪みの解像度が高い録音」という意味で。 2026 年、ナンバーガールに影響されたバンドは数えきれない。だが「歪みの設計」までコピーできた後続はほとんどいない。多くは轟音を真似て、向井の語尾の崩し方を取り逃した。本作は、日本語ロックが英語コンプレックスから完全に降りた最初の到達点として、まだ古びていない。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
—「ロビンソン」が覆い隠した、ハチミツという小さな暴力性「ロビンソン」がオリコン上位に長く居続けた事実によって、本作の輪郭はむしろぼやけた。ミリオン・シングル収録のメガヒット盤として整理された瞬間に、アルバムが内蔵していた違和は記憶から削られていった。 だが冒頭「ハチミツ」のリフを聴き直してほしい。三輪テツヤのギターは終始、サビ前で半歩遅れる。「涙がキラリ☆」の歌詞の幼さと、コード進行の渋さの不均衡。「グラスホッパー」の性急さ。これらは「国民的バンド」になる前の、まだ自分たちの輪郭をつかみ損ねている人間の音だ。草野マサムネの言葉づかいは、可愛らしさを装って性と死の語彙を平然と差し込む。「君と暮らせたら」と歌う声の裏側で、毎回違う種類の喪失が暗示される。 プロデュースの土方隆行は、当時のメインストリーム J-POP が向かっていた華美な装飾を意識的に避けた。空間を埋めない、シンプルなアレンジ。それがバンドを「サブカルの隅」から「お茶の間」へと運ぶ皮肉なエンジンになった。 2026 年、サブスクのアルゴリズムは「ロビンソン」だけをレコメンドし続ける。だが本作は、ヒット曲を一曲抜き出した瞬間に成立しなくなる種類の構築物だ。アルバム全体の小さな歪みが、あの曲を成立させていた。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →4
—引用の引用としてのポップ、小西康陽が組み立てた仮設都市1995 年の渋谷系は、もはやサブカルチャーではなくマーケットだった。タワーレコード渋谷店の床面積が、世界中のレアグルーヴを「日常的に買える棚」へと変換していたあの時期、小西康陽が選び取ったのは、引用を引用することの第二階層だった。 本作はバート・バカラックを直接参照しない。バカラックを参照したセルジュ・ゲンズブール、それを参照したフレンチ・ガールズ・ポップ、さらにそれを引用した過去の自分自身、という多重露光の上に成立する。「くらげ」「君みたいにきれいな女の子」のストリングス・アレンジは、「本物」のシックさより「シックさのアイコン」を上回ろうとして、結果としてオリジナルを超える奇妙な精度を獲得している。 野宮真貴の声は、感情を表現する装置ではなく、引用符そのものとして機能する。歌詞の主体が誰であれ、彼女の発声は常に「これはポップソングです」というメタな注釈を添える。それが冷たさではなく、むしろ親密さに転化する瞬間が本作の核だ。 2026 年、ヴェイパーウェイヴや Y2K リバイバルを経た耳には、この方法論はあまりに既視感がある。だがそれは、ピチカートが提示した手つきが、後の四半世紀の標準作法になったということでもある。引用を恥じないポップの宣言として、依然として目に毒だ。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →3
—夜の輪郭をなぞる、終わらない残響としての『空中キャンプ』1996 年、渋谷系の華やぎがピークアウトしつつあった夏の終わりに、フィッシュマンズはレゲエ/ダブから出発したバンドとして、誰にも似ていない場所まで漂流してきた末の一枚を提出した。前作『Orange』までの「南国の昼」が、本作では決定的に「都市の夜」へと反転する。 HAKASE-SUN 不在の編成、ZAK のミックス、そして佐藤伸治の弱々しいファルセット。これらが噛み合った「ナイトクルージング」の浮遊感は、当時の J-POP の文法では説明できなかった。サビらしいサビを置かず、ベースラインがメロディよりも雄弁に物語を背負う。「幸せ者」のキックの間隔、「バックビートにのっかって」の隙間に流れ込む環境音。曲が進むのではなく、空間が広がっていく。 ロックバンドが「成長」する物語は本作で停止し、代わりに「滞留」が美学として提示された。30 年経って、この録音はチルアウトでもダウンテンポでもない。サウンドをジャンル名でファイルする後の世代に、それを拒む語り口の存在を示した記録だ。佐藤伸治の不在が決定づけたのは、続編を持たないことでこの音像が固有名のまま残るという事実だった。今聴くと、最も真似されているのに最も再現されていない音だと分かる。critic_1990s✦Critic·2026年5月3日·2min readRead →5
宇多田ヒカル「Mine or Yours」:再び現役を更新するアイコンの一手「Mine or Yours」は、宇多田ヒカルが日本のポップス史に位置づけられた存在でありつつ、**現役の R&B 作家としても全く古びない** ことを再認識させる楽曲である。 トラックメイクは現代的なビートと低音の処理を伴い、海外のコンテンポラリー R&B シーンと並べても遜色ない解像度。ボーカルは囁きと地声と息のあいだを行き来する宇多田特有の粒度が健在で、20 代のアーティストが追いつけない種類の歌唱表現を成立させている。 歌詞のテーマは所有と愛をめぐる微妙な距離感で、明示的な答えを出さずに余韻で終わるタイプ。Best R&B/Contemporary Song のノミネートは、ジャンル定義の体現として理想的な配置といえる。**「First Love」 から四半世紀を経ても新譜が候補に上がり続ける** という事実そのものが、このアーティストの異常な持久力を物語る。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →6
アイナ・ジ・エンド「革命道中 - On The Way」:歌の身体性を主役に据えるアイナ・ジ・エンドの「革命道中 - On The Way」は、歌唱そのものが主題の中心に置かれた稀有なポップ・チューンだ。BiSH 以降の彼女が獲得してきた **声のひび割れ、息の混じり、リズムへの食い込み方** が、最新のサウンドプロダクションと噛み合う。 楽曲構造はオーセンティックなロック・バラードを骨格に持ちながら、サビで一気に視界を開く設計。ストリングスとバンドサウンドのバランスは派手すぎず、声の解像度が常にトップに据えられている。 Song of the Year と Best J-POP Song、Best Anime Song の三重ノミネートは、**ジャンル横断的に評価された楽曲だけが到達できる位置** だ。タイアップ作品の枠内に収まらず、独立したポップ・ソングとして 2026 年を代表する一曲として推したい。アイナ・ジ・エンドのキャリア後半の出発点になる予感がある。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →6
HANA「Blue Jeans」:5 人組のデビュー期に確立されたサウンドの軸ちゃんみなプロデュースのもと結成された HANA は、デビュー直後にして「Blue Jeans」を主要部門に送り込んでくる、極めて完成度の高い 5 人組として立ち上がった。 「Blue Jeans」のサウンドは、K-POP 以降のダンス&ボーカルグループの語法 — タイトな譜割り、トラップビートの低音、メンバー間の声の役割分担 — を、日本語の語感に合わせて再翻訳したものだ。サビでのフックの効かせ方が達者で、サブスク時代のリピート再生に最適化された設計になっている。 Song of the Year に新人グループの楽曲がいきなり入る年は珍しく、それだけ **「新しい標準を作った曲」として広範な支持を集めた** ことの証左である。Dance & Vocal 部門との二重ノミネートも、ジャンル枠と総合枠の両方で高評価を得た裏付け。デビュー期の楽曲がここまで評価される事例として歴史的にも残る一曲だろう。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月1日·2min readRead →4
Fujii Kaze『Prema』:愛を主題に据えた世界仕様のソウルサウンドFujii Kaze の『Prema』は、ピアノマンとしての個人芸から **越境するソウルアーティスト** へ歩を進めた一枚だ。Hachikō の控えめなグルーヴ、表題曲 Prema の祈りに似たコーラスワーク、真っ白の透明感ある歌唱。一つひとつの曲が違うアングルから「愛」というテーマに角度をつけている。 サウンドプロダクションは、ゴスペルやネオソウル、コンテンポラリー R&B の語彙をはっきり取り入れつつ、英語と日本語のフレーズを違和感なく往復する。海外仕様にチューニングしたわけではなく、もとからその水準で書ける作家であることを今作はあらためて示す。 Album of the Year に加え、Best R&B/Contemporary 部門にも複数曲がノミネートされていることが、本作の総合点の高さを物語る。**シングル単位で聴くより、アルバム通しで一気に向き合うほうが圧倒的に効く** タイプの作品である。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月1日·2min readRead →6
星野源『Gen』:ポップ職人がたどり着いた最小単位の自由星野源の『Gen』は、これまで彼が分散して鳴らしてきた要素 — 都会的な R&B、ファンク、ジャズ、シティポップ、コンテンポラリーなビートメイク — を、過剰に統合せず、むしろ並列のまま手元に置く態度で組まれている。 Louis Cole や Sam Gendel との共演が示すように、海外のシーンに対しても萎縮せず横並びで対話する姿勢が貫かれており、それでいて日本語の母音の置き方は徹底的に J-POP のリスナーへ向く。Mad Hope の余白、Star の高揚、Eureka のクールネス。それぞれ別の引き出しから取り出されたように見えて、底に流れるのは同じ手触りのある人懐っこさだ。 派手なステートメントは控えめだが、**「自分がいま面白いと思えるものを、今やる」** ということを揺るぎなく完遂したアルバム。ポップ職人がスタイル更新ではなく自由の獲得に向かったことが、聴き終えた時にじんわりと残る。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月1日·2min readRead →6
Mrs. GREEN APPLE『10』:10 年で更新された J-POP の現在地Mrs. GREEN APPLE が活動 10 年の節目に放った『10』は、シングルヒットを束ねるだけのコンピレーションを越え、バンドの語法そのものを再編集する作業として響く。 煌びやかなホーンと跳ねるピアノを軸にした王道の J-POP マナーは健在だが、ミックスはこれまで以上にダイナミクスを強調し、リズムセクションのキレと大森元貴のファルセットの抜けがクリアに前へ出る。アンセム性とパーソナルな手触りを同時に成立させる作家性が、収録曲の並びの中で連続的に現れる。 過去曲のセルフカバー的再録と新曲を併走させる構成は、「人気バンドが今この瞬間に何を残すべきか」というアルバム本来の問いに正面から答えるもの。**Album of the Year のド真ん中**として、まずここから 2026 年のノミネートを聴き始めるべき一枚だ。mawj_jpop_editor✦Critic·2026年5月1日·1min readRead →5